トドが2,000頭集まったから何ですか?
昨日、テレビで何度も流れていたニュースです。
胡獱(トド)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)アシカ科トド属に分類される食肉類の海生哺乳類です。
もう少し説明すると、鰭脚類に含まれる海生哺乳類の3つの科の1つです。
3つの科は
・アシカ科
・アザラシ科
・セイウチ科
の3科です。
この中のアシカ科に、アシカ、オットセイ、トド、オタリアが含まれます。
話が混乱しますが、アシカ、オットセイ、トド、オタリアは仲間として近縁です。
アザラシやセイウチは少し遠い親戚です。
その中の「トド」が、北海道稚内市の宗谷岬から約1キロ北西沖にある無人島・弁天島に大量のトドが上陸し、直径約70メートルの小島が多い時で約2000頭のトドに覆われた状態になっていと言う話です。
トドがいっぱいと言った感じです。
テレビで何度もニュースに流れる大騒ぎ。
一体何ですか?
魚が食われて漁師が困っている?
それは当然です、体重1トンの獣です。
食べる量だって半端じゃないでしょう。
でも、たった2,000頭がそこにいるだけです。
周辺を数えたら6,000頭近いらしいですが、そのくらい何でもありません。
東京近郊に住む方なら渋谷のスクランブル交差点をご存知でしょう。
これ、日曜日でイベントがあるときだと、青になった瞬間に1,500~2,000人が横断します。1回にです。
そして次の青でも別の人たちが2,000人渡ります。
それが終日続くわけです。
トドが見たら驚くでしょう。
なにしろ、渋谷駅の2016年度におけるJR+私鉄各社合計の1日平均乗降人員は約328万人で、新宿駅に次ぐ世界第2位です。
トドが6,000頭なんて、1/1640です。
もし、渋谷の乗降人員が1日6,000人になったらトドが6,000頭よりニュースになるはずです。
「渋谷ゴーストタウン!一体何があった?」
テレビはアホなニュースばかりだから見る人がいなくなるのです。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第7弾『入院患者』
「シャーロック・ホームズもの」の魅力の一つに、人物描写があります。しかも、風変わりな人物が多いことです。
例えば、赤毛連盟』における依頼人のジェイブズ・ウィルソン。そもそも、赤毛自体が人口比率的に少数派であり、差別的な意味合いがあったらしいのですが、そのような事情を逆手に取り、さえない質屋の主人として、ジェイブズ・ウィルソンを描写しています。
『緑柱石の宝冠』の依頼人である大銀行家のアレキサンダー・ホールダーもインパクトがあります。ホームズの事務所を訪問する際、慣れない雪道に「必死で走りながら、ときどきぴょんぴょんと飛び跳ねている(中略)しかも、走りながら両手をあげたりおろしたり、頭を振ったり、顔をめちゃくちゃにゆがめたり」(『シャーロック・ホームズの冒険』の『エメラルドの宝冠』角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳 P370より)と、大銀行家らしかぬ奇妙な登場の仕方は、事件が始まる前の高揚感をかき立てます。
このような特徴的な人物に対する描写は、さらには、その人物の社会的地位や性格等を看破するホームズの視線で書かれていると考えると、「なる程、鋭い」と納得がいきます。
今回紹介する『入院患者』も、依頼人の登場の仕方に一工夫を加えています。
十月の雨の日に、そのうっとうしさを紛らわせるために、ホームズとワトソンは、散歩に出かけます。約三時間後の夜の十時過ぎにホームズの事務所があるベーカー街に戻ります。このような遅い時間に依頼者が現れます。一般常識的には、考えられない時間帯の訪問ですが、それが故に、事件の緊急性を想起させられ、読者の興味をかきたてます。
「『ふむ、医者だな。各科一般の開業医だ。まだ開業しても間もないのに、相当はやるらしい。何か事件がおきたと見える。いいところへ帰ってきたな』ホームズがいった」。(『シャーロック・ホームズの思い出』の『入院患者』新潮文庫、コナン・ドイル著、延原謙訳 P206より)
そして、その医者の特徴を「青じろい細面に砂色のほおひげのある男」「年は三十を三つか四つ以上は出まいが、やつれた不健康さが、青春を奪い意気を失わせた」「ものごしは神経質で内気で、いかにも敏感な人らしく」「白くて細い手は、医者の手というよりは美術家のそれに近かった」「服は地味で、上品な黒のフロックに黒っぽいしまズボン、ネクタイはほんのちょっぴりと色のあるだけの淡白なもの」。(同書 P206より)と、かなり否定的なイメージで描かれています。面白いことに、その後、「朦朧性神経障害に関する論文をお書きになったトリヴェリヤン博士じゃありませんか?」(同書 P207より)と、一転変わって、持ち上げるように肯定的に描かれています。
これらの種々な描写により、読者は、奇妙な事件へ誘われます。
さえないけど、りっぱな経歴の持ち主である医者。スコットランドのエディンバラ大学医学部を卒業し、ロンドンで開業するも、ぱっとせず、文筆業に軸足を置いて行ったコナン・ドイルの生き写しと、主人公のトリヴェリヤン博士を見立てるサイドストーリーを、私なりに妄想しました。そうすることによって、『入院患者』の人物描写も、本来のストーリー以上に興味深く読むことができます。
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シャーロキアンのシャーロックホームズ:第6弾『白銀号事件』
イギリスのカレー
競走馬「白銀号」の失踪と、その調教師のジョン・ストレーカー殺害事件を扱った『白銀号事件』のキー・アイテムの一つに、アヘン入りカレー料理が登場します。
今日の日本では、ラーメンと双璧をなす国民食です。
以外かもしれませんが、イギリスでもカレーは国民的な料理です。
日本の様にご飯にかけて食べるというのではありませんが、様々な形でカレー料理があります。
歴史的な観点で考えれば、インドの旧宗主国がイギリスだったので、カレーとイギリスの接点が見えてきます。
その歴史をひも解くと、「16~17世紀に、インドのカレーがヨーロッパの文化に初めて出会う。18世紀に、世界をリードする大英帝国にカレーが浸透。19世紀に、イギリスで発明されたカレーパウダーは、その後日本へ。」
(https://housefoods.jp/data/curryhouse/know/world/index_w.html より)と、日本以上に、イギリスではカレーの歴史が古く、国民食として浸透しているようです。
19世紀末のイギリス
そのカレーに、アヘンを入れたことで、厩舎の寝ずの番であるエディス・バクスターが、昏睡状態に陥り、「白銀号」が誘拐されます。
アヘンと言えば、イギリスと清の間で、1840年から2年にわたり繰り広げられた「阿片戦争」を思い出します。アヘンとは、いわゆる麻薬です。
「アヘンの粉末を売りわたしたのはどこの薬屋ですか?」。(『シャーロック・ホームズの思い出』の『白銀号事件』新潮文庫、コナン・ドイル著、延原謙訳 P22より)
グレゴリー警部の推理の矛盾点を指摘するシャーロック・ホームズのこのセリフより、『白銀号事件』出版の1892年当時、アヘンは薬屋で販売されていたようです。「阿片戦争」を経て、悪者扱いされていてもおかしくないはずですが、普通に流通していたのが不思議なくらいです。
本書を読んだとき、「アヘン入りカレー料理」とは、奇抜なキー・アイテムだなと思いましたが、当時のイギリスでは、ごく普通に流通しているものの組み合わせだと、少し調べるだけでわかりました。アヘンの匂いを消すためにカレー料理と、それを混ぜたのです。カレーを使った犯罪では、1998年に発生した「和歌山毒物カレー」を思い出します。林眞須美容疑者が、『白銀号事件』を読んでいたかも知れないと夢想すると、『白銀号事件』は、結構怖い話となります。
動物を使った推理小説
他のキー・アイテムと言うか、最重要アイテムは、「白銀号」そのものです。
「現代的なミステリーの最初の作品『モルグ街の殺人』(E=A=ポー)もそうですが、動物をあつかった作品は、ミステリーに多く見受けられます。『黒猫』(ポー)、『かたつむりの島』(パトリシア=ハイスミス)などの怪奇小説もありますし、『恐竜の尾事件』(E=D=ホック)、『レントン館事件』(A=モリスン)などのパズル小説もあります。」(『シャーロック・ホームズの思い出(上)』偕成社、コナン・ドイル著、沢田洋二郎他訳 P301より)もちろん、コナン・ドイルの『まだらの紐』も外されない動物が絡んだミステリーです。
実は、「ドイルは、動物にはあまりくわしくないらしく、ときに、まちがいを書いています。(中略)発表当時、スポーツ新聞に競馬界について知らなさすぎると批難された、と、自伝『回想と冒険』のなかで、ドイルはのべています。」(同書 P3021より)とありますが、それを差し引いても、十分に楽しめる動物ミステリーであり、間違いを素直に認めるコナン・ドイルの誠実さが、さらに、『白銀号事件』を輝かせています。
有るべきはずのものがない
ホームズはこの事件の中で聞き込みをする際に「犬の鳴き声が聞えなかった」ことに注目しています。本来有るべきはずのものがない。要するに知らない人が入ってきたら吠えるはずの犬が吠えなかった。犯人は、見ず知らずの人ではなく犬が吠えない人物であると推理したのです。
学習塾を開業した方から伺った話「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである」
個人が特定されないように今流行の「改竄」をしています
(「改竄」が有ったかどうかそれは分りません、「改竄」と言う流行語のことを言ってます)
善悪を語る時に目を背けてはならない事は、果たしてそれが本当にそれぞれ「善」、「悪」として正しく認識できているのか、という事だと思うのです。
いや、少し言葉が悪いですね。私自身にとって「善」と信じて疑わない事が、本当に「善」なのか、「悪」と信じて憎む事が本当に「悪」なのか、そこで盲目的になってしまうと、善悪はただの「自分にとって都合か良いか悪いか」だけの判断基準で決められる、非常に曖昧なものとなってしまいます。
なぜ、こんな事をお話したかと申しますと、私は若い頃、教師をしておりましたが、よく子どもたちを罰しました。校則を破った生徒、他の生徒を傷つけた生徒、教師に対して敬意を持たない態度をとった生徒、様々な理由で、私は彼らを罰しました。
しかし、この手に残る感触は、どこか後ろめたく、果たして本当に彼らを罰した事が正しいおこないだったのか、今でも振り返っては自問する日々なのです。
彼らには彼らの善悪があり、我々教師には理解し得ない主張や信念があるのだろう。
それを、大人の基準で罰せられるものなのか、彼らの王国に存在するルールからすると不本意で理不尽なものにより罰という名の災害が降り注いだだけなのか、そう思ってしまうのです。
そうやってずっと悩んできました。
それは、私自身がいわゆる「問題児」だったからに他なりません。
問題児だった私に、問題児というレッテルを貼ったのは大人。その大人を見返したく、そして、大人たちの問題児というレッテルを貼られてしまった子どもに寄り添いたく、私は教師を目指したのでした。
しかし、どうでしょう。
いざ、教師になって、私がしてきた事は、あの頃、問題児だった私が不本意で理不尽で暴力的で威圧的だと感じた大人のそれと、同じ事だったのではないでしょうか。
悩み続けて四半世紀ほどが経ったころ、私は、エドマンド・バークのひと言に救われました。
「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである」
"All that is necessary for evil to succeed is for good men to do nothing."
- Edmund Burke
子どもたちのことを「悪」と言うのではありません。
「悪」とは、無垢な子どもたちの心をいつでも付け狙う甘い誘惑の数々です。今思えば、私も問題児だった頃は、この「悪」の底知れぬ魅力に取りつかれ、大人たちに反抗の牙を向けていたのでした。
「善」を定義づけるのはとても難しいことですが、子どもたちよりも幾ばくか人生を長く生き、自分なりの「善」を育んできた者が、何もせずに悪が栄えていくのを見ているわけには参りません。悪は魅力をはらんでいます。善は逆に、時に苦痛をともなう事もあります。私とて、生徒を怒鳴りつけたり、必要があれば手を上げた時、この心が痛まない日はありませんでした。
そう、悪は、善よりもはるかに浸透し、蔓延しやすい性質をもっているのです。
それゆえ、「善」を持つ者が動かねば、悪はあっという間に侵食してしまうでしょう。
悪を栄えさせないため、悪の侵食を食い止めるためには、善人が何かしなければならないのです。
このエドマンド・バークの言葉は、私の勇気の灯火となりました。心に強く訴えかけ、私を鼓舞してくれました。
もう教師から退いて何年も経ちますが、あの頃「問題児」として私の手を焼かせていた生徒たちのうちの何名かは、私と同じ教師をいう道を選び、そして私と同じ悩みを抱えながら懸命に子どもたちに忍び寄る「悪」の影と闘っています。
そんな彼らが心の葛藤を私に打ち明ける時、私はいつもこの言葉を贈るのです。
インターネット戦略を考えている士業や個人事業主の方へ
やるなら初めからしっかりやろう
web対策をしないということは「集客の放棄」とも言えます ~ノウハウ本「エンジニア成長戦略」著者がITの苦手な士業・起業家・個人事業主に警鐘を鳴らす~/起業110番
士業をしているうえで、必ずぶつかるのが独立起業の問題です。
私の場合は、会社員との併走期間が2年、独立してから2年です。
昨年の結果は確定申告がおわりました。
今年の暮れには、法人設立できそうです。
私の場合は、営業活動はほぼゼロ、全てインターネットでやってきました。
それが、私には向いていたようです。
しかし、回りをみると他の個人事業主・士業の皆さんはそうではありません。
すでに起業を果たして個人事業主となっている場合でも、今後起業を考えているような人であっても、抱える悩みというのは少なくありません。
なかでも、WEB対策に関して言えば、くわしくない人にとっては全く未知の領域です。
しかし、だからといってWEB対策を放棄したりないがしろにしているようでは、これからの士業の未来を考えたとき、その未来が明るいとは言えません。
いまや、WEB対策は必須の時代になっています。
WEB対策は「した方がいい」から「必須」の時代へ
つい数年前までは、起業を考えるとき、もしくは個人事業を営む際、WEB対策はした方がいいといわれていました。
もちろんそれは間違いではなく、そのころはまだ、WEB経由で販売促進や集客が期待出来得るという程度の物であったことは確かです。
しかし、今やそれはもう間違っているといってもいい時代になりました。
いま、士業家が起業を考えるもしくは個人事業主として商売を営んでいくという時に、WEB対策を全くせずにその道に突き進んでいくのは、もはや無謀といっても過言ではありません。
そう、すでに時代は変わってしまっているのです。
とは言え、何でも狙い通りと言う訳には行きません。
このサービスをインターネットで開始したのは今年の1月28日ですが、最初のお申し込みは、地元の商工会を通じた口コミでした。
これから、躍進させます。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第5弾『ぶな屋敷』
『ぶな屋敷』の「ぶな」は、何度か耳にしたことのある木の名前ですが、具体的にはどのような木なのかわからないので、調べてみました。「北海道、本州、四国、九州に分布する落葉高木。高さは30m、直径1.5mに達するものもある。樹皮は滑らかで割れ目がなく、色は灰白色あるいは暗灰色。幹表面に地衣類が着生してさまざまな模様をつくる」。(『原寸図鑑 葉っぱでおぼえる樹木』濱野周泰監修、柏書房、P72より)図鑑の写真を見ると、「地衣類が着生してさまざまな模様」が、不気味です。
その不気味さと同じように、破格の報酬にて、家庭教師として雇われた依頼人のヴァイオレット・ハンガー嬢が、雇い主のルーカッスルの邸宅・ぶな屋敷を初めて訪れた際の印象は、「ぶな屋敷はルーカッスルさんのお話のとおり、美しい場所にありましたが、建物は美しくありませんでした。(中略)風雨にさらされ、しみだらけで雨筋の跡が浮いています。(中略)玄関のすぐ前にブナの木立があって、それが屋敷の名の由来となっています」(『シャーロック・ホームズの冒険』の『ぶな屋敷』角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳 P428より)でした。
図鑑では、「人面木」とも言うべき樹皮が、人の顔のような起伏を作り、コケなどで斑紋を作っています。ブナの木のコケの斑紋と、ぶな屋敷の「しみだらけで雨筋の跡」は、「美しくありませんでした」というハンガー嬢のセリフと符合します。コナン・ドイルは、ブナの木を陰鬱な象徴として考え、タイトルを『ぶな屋敷』にしたのだろうと、私は想像しました。
その想像を裏付けするのは、ぶな屋敷に向かう列車の中で、ワトソンに向けて発せられたシャーロック・ホームズの名セリフです。車窓の美しい田園風景に感嘆しているワトソンに対して、「ロンドンのどんなに薄汚い路地よりも、のどかで美しい田園地帯のほうが、はるかに恐ろしい罪悪を抱えているものなんだ」(同書P426より)と、言い放ちます。この根拠は、都会では人目があるが、田舎の孤立した家々では人目が届かないと言うことです。人目が届かないぶな屋敷こそ、陰鬱で罪悪を抱えているという訳です。
事件発生前の小休止的場面で発せられるホームズのこのセリフは、奇妙な事件への伏線として、私に強烈なインパクトを残しました。それもそのはずです。ある英語引用句辞典に、収録されており、「世界の有名人の名言を編集したのが引用句辞典です。クリスティー、セイヤーズ、チャンドラーなども大判の英語引用句辞典にはのっていますが、ほんのおしるしです。やはり、コナン=ドイルはりっぱな作家といえます」。(『シャーロック・ホームズの冒険(下)』コナン=ドイル著、平賀悦子訳、偕成社、P371より)と、絶賛されているセリフなのです。
名セリフの不安を払拭する活躍をして、ホームズは、ハンガー嬢を恐怖から救い出します。色恋沙汰の少ないホームズものですが、どうやら、ホームズは、ハンガー嬢に好意を寄せていたようです。それは、最後のワトソンの回想録のみから、推測されます。
「彼女が自分の扱う事件の中心人物でなくなったとたん、ホームズは彼女に対する関心を失い、ぼくをがっかりさせた」。(同書、角川文庫版 P450より)ホームズの恋心を、そっと見守る名脇役のワトソンは、最後に「がっかり」はするものの、私は、彼のかげながらの優しさに、陰鬱な事件を忘れさせる清々しさを感じました。
(私はジェレミー・ブレッドのシャーロックホームズシリーズを全て持っています。
少し高齢になりすぎと批判もありますが、私は原典に忠実なこのDVDシリーズは好きです。)
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第4段『緑柱石の宝冠』
私は、角川文庫版『エメラルドの宝冠』にて、この作品を読みましたが、他出版社のタイトル訳では、聞き慣れない石の名前・緑柱石が登場します。
その石は、「エメラルドのことです。緑色の濃さでいえば、エメラルドはふかい緑色、緑柱石は少し淡い、のちがいで成分は同じです」。(『シャーロック・ホームズの冒険』コナン・ドイル著、平賀悦子 他訳、偕成社 P369より)
タイトルを一つとっても、その時代時代の空気に触れることができます。この行為は、小説を読む楽しみの一つである、「現実逃避」とでも言うべきでしょうか、自分の知らない世界に誘われて、我を忘れてどっぷりと浸ってしまうことに通じます。この『緑柱石の宝冠』では、19世紀後半のロンドンの大銀行家でさえも、触れることの出来ない―国家の有力者のやぶさかならぬ借金の担保代わりに預かることとなるのですが―21世紀のダイアモンドに匹敵する貴重な宝冠を巡って、当時の大銀行家の世界を垣間見ることが出来ます。
さて、物語はいつものように、ホームズの部屋で、その主とワトソンの会話から始まります。雪の道なので、ホームズものの定番である馬車でなく、奇妙な歩きぶりで大銀行家のアレキサンダー・ホールダーが登場します。この富裕層は、普段は馬車―感覚的には、現在で言えばタクシーでしょう―で移動するので、慣れない雪道に「必死で走りながら、ときどきぴょんぴょんと飛び跳ねている(中略)しかも、走りながら両手をあげたりおろしたり、頭を振ったり、顔をめちゃくちゃにゆがめたり」(『シャーロック・ホームズの冒険』の『エメラルドの宝冠』角川文庫、コナン・ドイル著、石田文子訳 P370より)と悪戦苦闘をします。そして、何とかホームズを訪問します。奇妙な歩きの余韻を引きずり、訪問後も気が動転したままです。
しかし、ホームズの落ち着き払った会話にて、冷静さを取り戻します。そこで、「緑柱石の宝冠」の一部が、盗難にあい、その犯人が放蕩息子のアーサーだと、理路整然と説明します。この事件の発端におけるホールダーの服装の描写―地味だが上等な服装をしていて、黒いフロックコートに真新しいシルクハット、こぎれいな茶色の深靴、仕立てのいいパールグレーのズボンといったいでたちだ。(同書 P370より)―にて、19世紀のロンドン上流社会に触れることができます。一方で、社会的な地位を得ている登場人物が、放蕩息子に翻弄されるという、今日の日本社会でもありがちな構成となっています。19世紀末のロンドンと今の日本が、繋がったような錯覚をおこしそうです。
その繋がりを断つのは、父に犯人と疑われたアーサーの行為を、「息子さんは騎士道精神にのっとって」(同書 P403より)と称えるホームズのセリフです。現代で考えると時代かかったセリフで、日本では、武士道精神となるのでしょう。ありがちな構成の物語も、騎士道精神に言及するホームズのセリフで、私は、一気に19世紀後半のイギリスの規範の世界に引き込まれました。アーサーにとっては、汚名返上の最大の誉め言葉となり、私とっても、大銀行家を戒める舌鋒鋭い金言となりました。
最後に、この物語のこぼれ話を一題。「エメラルドが三十九個もついた宝冠を預けたのは、誰だろう。皇族の一人、プリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)だという説もある」(『シャーロキアンは眠れない』飛鳥新社、小林司・東山あかね著、P219いり)当時の緑柱石は、今のダイアモンドより価値があったと想像したいです。そうすれば、ホームズの活躍がもっとまぶしくなります。
ちなみに、この依頼者ですが、シャーロックホームズ研究家の間では、後のエドワード7世が最有力です。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第3弾『赤毛連盟』
シャーロキアンからの人気投票では毎回1位~3位までに入る作品
(ウィキペディアより)
『まだらの紐』『技師の親指』と、久しぶりにコナン・ドイルのシャーロック・ホームズものを立て続けに読むと、ホームズの推理力の素晴らしさ、すなわち、コナン・ドイルの推理の構成力に感心させられます。
その推理を導きだすホームズの依頼者にする質問は、唐突感のある、もっと言えば、不自然なタイミングで行われます。依頼者の話が終わった後で、まとめて質問するような行儀のよいものではありません。
好みの問題かと思いますが、私は、刑事コロンボのように、帰り際にしつこく、「うちのカミさんがね」と、ダメを押す質問の仕方が好きでした。
好きでした。と過去形で語るのは、以下に引用するイギリス人の質問に関する伝統を読んで、ホームズの不自然な質問のタイミングの意味を理解したからです。
「イギリスでは、伝統的にモヤモヤした状況を一気に解決に向かって動かせるような質問が出せる人が『頭がいい』と考えられ、重んじられています」(「最高の結果を引き出す質問力」河出書房新社、茂木健一郎著、P18より。太字もそのまま引用)
ホームズは『頭のいい』、すなわち、卓抜した推理力の持ち主なので、依頼者の話の途中でも、既に答えを導き出しおり、その不自然とも思えるタイミングで念押しのための、「一気に解決に向かって動かせるような質問」をしているのでした。
イギリスの質問に関する伝統を、茂木さんから教わったおかげで、ホームズの質問を、今まで以上に楽しむことができるようになりました。
前置きが長くなりましたが、『赤毛連盟』におけるホームズの唐突感のある質問を楽しむために、以下に引用します。
―「その店員は仕事を覚えたいのでふつうの給料の半分でいいといってくれているんですよ」
「そのありがたい若者の名前はなんといいますか?」
「ヴィンセント・スポールディングです。(中略)とにかく、頭はいいですよ、ホームズさん。だからもっといい職に就いて、うちで払っている分の倍はすぐ稼げるはずです。しかし(中略)こっちからよけいなことをいう必要もないでしょう?」
「もちろんです。しかし、世間なみの給料も払わずに人を雇えるとは、ずいぶんラッキーですね。(中略)例の広告に劣らないほど珍しい存在かもしれませんよ」
「いや、あの男には欠点もあるんです。(中略)写真を撮りまくっては、ウサギが巣穴へ逃げるみたいに地下室へ飛び込んで現像するんですよ。(以下、略)」(短編集「シャーロック・ホームズの冒険」の「赤毛連盟」コナン・ドイル著、石田文子訳、角川文庫P51より)
「赤毛連盟」の奇妙な新聞広告から、不思議な出来事に巻き込まれた依頼人のジェイブズ・ウィルソンが、ホームズに一部始終を話している途中で、早速、ヴィンセント・スポールディングに目をつけたホームズは、「例の広告」に劣らないと、「赤毛連盟」の広告を引き合いに出し、さらに、ヴィンセントに関する「地下室へ飛び込んで」という情報を聞き出します。何とも切れ味鋭い「質問力」です。
他の作品も同様に、ホームズが依頼者に質問をした時点で、事件のある程度の概要が明らかになるのです。
ある意味、ホームズの質問の唐突感は、事件解決に向けてのトップギアの役割を果たしています。すなわち、コナン・ドイルの作中における「大道具」なのです。
これからも、もっともっと、ホームズの「唐突感のある質問」を楽しんでいきたいです。