あの頃は燃えた、熱かった『日本オーディオ界』の70年代、80年代-15
今回は少し古い時代のオーディオ話です。東京オリンピックは昭和39年(1964年)に開催されています。1960年に始まり1964年に終ったオーディオのブームの一つに「エコーブーム」があります。ナショナルつまり松下電器では「”超音響”ステレオ」と銘打って大きく宣伝しています。今で言えばDSP(これも少し前ですか?)ですが、DSPはデジタル処理です。50年前のエコー処理は何と純粋にメカニカルな処理でした。
スピーカーは電気信号によってボイスコイルが振動します。同じ仕掛けでスプリングコイルの一端を振動させ、他端に電磁ピックアップを取付けておきます。そうすると機械振動がスプリングを伝わっていく時間だけのディレイ(遅延)のかかった信号が得られる。これを元の信号にミックスするというのがエコーステレオの原理です。現在のものに比べたら笑えるぐらいクオリティは低いのですが、それでもタイル張りの大浴場とか、金属壁のガレージで歌うような効果は得られます。
この装置というか製品は、純粋オーディオマニアから批判されました、批判というよりも猛烈な反発だったのですが、一般の人からは大いに支持され「超音響」(エコー)は一代ブームとなったのです。しかし長続きはしませんでした。やはり、バネの力で振動の伝わりを引き延ばしても不自然なエコーにしかならなかったのです。
そして、この後アルチアンプと4chの狂想曲が始まります。今考えれば、当時の狭い居間や応接室になぜこんな大きな再生装置を置こうと考えたのか全く分りませんが、当時の人は大まじめだったのです。
この頃、20代サラリーマンの月給は、2万円程度です。上を見ると分るとおり給料3ヶ月分の価格です。
次回は、4chについてご説明しましょう。