takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・その黎明期-3

 欧州大陸側の科学者は大活躍の時期でしたが、その他の場所でも重要な発見がなされていました。1899年~1900年にかけてラジウムを研究していたニュージーランンド人のアーネスト ラザフォード(1871~1937年)が、モントリオールのマギル大学在職中に、アルファ粒子(線)とベータ粒子(線)を発見しています。

 ラザフォードは、マイケル ファラデーと並び称される実験物理学の大家です。アルファ粒子とベータ粒子発見の他、ラザフォード散乱による原子核の発見、原子核の人工変換などの業績により1908年にノーベル化学賞を受賞し「原子物理学の父」とも呼ばれています(ラザフォード散乱による原子核の発見はノーベル賞受賞後です、後述)。また、その肖像画はニュージーランドの銀行券100ドル紙幣の肖像に採用されています。

 ラザフォードは、後にラザフォード実験と呼ばれる重要な実験を行い、ラザフォード散乱と呼ばれる現象を発見しています。しかし、実際の実験はラザフォードの助手であったハンス ガイガーと学生だったアーネスト マースデンが行っています。実験物理学の大家だったラザフォードですが、この実験は1911年に行われたものであり、この時はノーベル賞を受賞した後ですから、本人は指示だけを行っていたのでしょう。

 いずれにしても、ラザフォードの指示で二人は薄い金箔にアルファ粒子(正電荷を持ったヘリウムの原子核)を当てる実験を行っていました。その結果、アルファ粒子の大部分は金箔を透過するが、一部が大きな角度で散乱される現象を見いだします。

 つまり、原子の内部に正電荷を持つ原子核が存在することが明らかになったのです。アルファ粒子が金の原子と衝突する場合、大部分は原子核から離れたところを通過するのでそのまま通り抜けてしまいます。しかし、ごく一部は原子核のすぐ近傍を通過し、正電荷同士の強い電気的斥力が働いて軌道が大きく曲げられことになります。原子の中の原子核は、野球場が原子だとすると、野球場の真ん中に置いたパチンコ玉が原子核です。要するにほとんど隙間だけなのです。それでも、アルファ粒子を金箔に当て続けると、低い確率でパチンコ玉同士がぶつかることもあるわけです。大雑把に言うと、それがラザフォード散乱です。

 この実験により、当時考えられていた2つの原子モデル論争に終止符が打たれました。1つは、ラザフォードの師である、ジョセフ ジョン トムソンの葡萄パンモデル。もう一つは、日本の物理学者長岡半太郎の土星型モデルです。トムソンの葡萄パンモデルでは、パンの表面に配置されている干し葡萄が電子です。長岡半太郎の土星型モデルは、土星の衛星が電子にあたります。

 当時、東洋人科学者の長岡と1906年にノーベル賞を受賞し1908年には、ナイトの称号を得たトムソンの説では、圧倒的にトムソンの説が支持されていました。しかし、皮肉にも自分の弟子だったラザフォードの実験によりトムソン説が間違いであることが分ってしまいました。師に逆らう形になりましたが、ラザフォードは実験の結果を踏まえて土星型モデルに近い惑星モデルを提唱します。もちろん、これが、科学の良いところです。