takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・その黎明期-6

RDD」、放射性物質散布装置(英:Rradiological Dispersion Device)のことを書こうと思ったのですが、あれは黎明期のものではありません。ごく最近のものであり装置というよりも兵器あるいは爆弾です。しかし、今の所実戦配備は確認されていません。ですので、やはりタイトル通り黎明期の話しに戻ろうと思います。

 第3回に登場したアーネスト ラザフォードは、原子核にアルファ粒子を衝突させることで初めて人工的な核反応を成功させました。ラザフォードは「原子を分割した科学者」として称賛されましたが、この核反応はウラン等の重元素で起きる核分裂反応とはほど遠いものです。しかも、ラザフォードは核反応がエネルギー源になりうるとは思いつきませんでした。

 この少し後、原子爆弾原子力発電に繋がるアイデアを考えついた科学者が登場します。その名は、レオ シラード( 1898年2月11日 ~ 1964年5月30日)、直接的に原子爆弾開発などに関わったハンガリー生まれのユダヤアメリカ人物理学者です。

 シラードはアインシュタインを通じたルーズベルト大統領への進言によって原子爆弾開発のきっかけを作った人物として知られています。原爆開発の切っ掛けを作った科学者ですが、第二次世界大戦末期には日本への無警告の原爆投下を阻止しようとして活動しました。これを持って、科学史研究家の中には「良識派」と見なす研究者もいます。また、逆に、そのような見方を否定する研究家もおり、科学史上の評価は割れています。戦後は、核軍備管理問題に関して積極的な活動を続けました。

 シラードは、一つのことを突きつめ業績を積み上げるよりも、知的放浪者として広い分野で創造的なアイデアを生み出すことを楽しみ、熱力学や核物理学から分子生物学に至る科学的研究に止まらず、社会的活動や政治的活動にも積極的に関わったようです。(テクノロジー コレクターの私もこれに近いかもしれません、ただしレベルが違います)

 当初は、熱統計学の研究者として博士号を取得し、分子生物学の論文をいくつも書いたシラードですが、時代の要請により後半の研究はほぼ原子核物理学へと向けられます。1933年、ドイツを逃れてほどなく、中性子による核連鎖反応の可能性に思い至り、以降核物理学の研究に没頭します。

 シラードは、「核反応を通じたエネルギーの生成を目的とするエネルギーの解放」と言う特許を1934年(昭和9年)に申請しました。翌年には、それを修正し、ウランと臭素が「中性子により複数個の中性子が放出されうる元素の例」だと付け足します。彼は、特許の内容を秘密扱いにしたいと考えたのですが、そのためにはイギリスの政府機関に譲渡する必要がありました。最初は、イギリス陸軍省に譲渡を申し出ましたが断られます、しかし、その数ヶ月後海軍省が特許の譲渡を受入れました。

 上記の特許内容だけでは何のことだか分らないと思います。要するにシラードは、核反応によるエネルギー生成を初めて理論化したのです。1個の中性子を吸収することで分裂し、その過程で2個の中性子を放つような元素があるなら、その元素を高密度に集めれば核の連鎖反応が持続するということです。

 多くのアイデアを残したシラードですが、彼はアイデアが出てしまうとその対象への興味を失うタイプの人間でした。ですから、せっかく特許を取得しても実現されることは少なかったのです。また、シラードの特許への嗜好を利己的で科学者らしくないと考える同僚も多く、それが彼の評価を下げているようです。