takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・その黎明期-1

「放射能」と聞くとそれだけで恐ろしいものと感じる方もいます。昨年暮れの失敗学会年次大会で中尾政之東京大学大学院教授は、「現在、原子力専門の先生達の間では、” このまま原子力のことなど学校で教えて良いのか ”と言う問題で議論が行われている」、と話されていました。事故を起こした原子力発電装置は、原子爆弾と同列なものと見なされているのでしょう。核兵器の研究とエネルギー供給装置(発電機)の研究を同じ括りにするようでは、工業立国の終わりも近いかもしれません。東大でそんな感じですから、後は推して知るべしです。

 しかし、19世紀末この原子に秘められた不思議な力・現象を科学者達が知ったとき、世界中、特に西欧諸国の科学者達は騒めき立ちました。「放射能 (radioactivity)」と言う言葉の発案者は、ポーランド出身の女性科学者マリア スクウォドフスカ キュリー(Maria Skłodowska-Curie, 1867年11月7日 - 1934年7月4日)です。

 1897年9月、彼女が29歳の時、博士論文のテーマを探していました。その彼女に助言をしたのが、夫であるピエール キュリーでした(2人は1895年7月26日に結婚しています)。ピエールは、当時パリ市立工業物理化学学校の実験主任を務めていました。彼は、アンリ ベクレルによって報告されたウラン塩が写真乾板に引き起こす作用を論文で読み、妻であるマリーに詳しく調べて見ることを勧めたのです。

 実験を行ってみると、ウランやトリウムを含む鉱物の中に放射能がウランより強いものがあることが分りました。つまり、ウランよりもっと強い放射能を持つ別の物質が含まれていることが推測されたわけです。ピエールとマリーは、ウラン鉱石からその未知の物資をほんの僅か抽出して「ラジウム」と名付けました。ラジウムとは、光線と言う意味のラテン語です。そのラジウムは、同じ質量のウランより100万倍程度強い放射能を持っていました。さらに、マリーは、ラジウムが崩壊してできる元素も発見しました。その名はポロニウム、マリーは自分の祖国ポーランドの名前から物質名を命名したのです。ウラン鉱石が放つ放射線の大部分は、マリーが発見し命名したラジウムとポロニウムから発せられています。

 マリーは、知られている放射性元素を含む様々な化合物の放射能を調べる過程で、トリウムが放射能を持っていることも明らかにします。さらに、ウランやトリウムがどんな化合物に含まれていても、放射能の強さは化合物に含まれているウランやトリウムの量に比例することに気づきます。言い換えると、放射線を放つ物質の放射能は分子に含まれる原子の並びに依存しないという当時としては革命的な事実を認識します。1903年、キュリー夫妻は自然放射線の発見にたいしてアンリ ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞します。もちろん、女性科学者では始めてのことです。さらに、その功績でパリ大学初の女性教授職に就任しました。

 

 どの切り口で書こうか迷ったのですが、歴史的な視点で書くことにします。なるべく物語風に書ければ良いのですが、筆力が足りないところは勘弁して下さい。