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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

人類=ホミニン=Hominins-6:ピルトダウン人

 また、空けてしまいました。と言って、「今日は休みます」みたいなことを書くほどの人気ブログではないので、そのような告知はしません。
 年初に「週5回~6回の更新ペースで続けます」と宣言したのですが、2ヶ月で挫折です。これから気を入れ直して週5回の更新ペースは守りたいと思います。

 日本でも昨年は「何とか細胞」が騒ぎになりましたが、このピルトダウン人は、そんなものではありません。およそ40年に渡って世界の古人類学会を欺し続け、欺き続けた事件です。しかもそれは意図的に行われたものでした。日本の「何とか細胞」は、おそらく女性科学者の無知か勘違いが原因でしょう。意図的とは思っていません。

 日本でこれに類似した事件は、藤村新一の旧石器ねつ造事件だと思いますが、規模で言えばやはりピルトダウン人の方が、大きな事件です。


 さて、ピルトダウン人のお話しです。これは、近代科学史上で最大のいかさまとして知られています。捏造された化石人類は、時々「ピルトタウン人 」と表記されることもありますが、英語名は「Piltdown Man」です。townではありませんから、ピルトタウン人は間違いです。

 また、日本では、発見者チャールズ ドーソンの名前から「ドーソン原人」、「曙人」(夜明けの人の意味)とも呼ばれていました。

 騒ぎになった経緯は、これも何時ものパターンです。ようするに、ピルトダウン人が発見される前(1920年以前)、ヨーロッパは、古人類の化石発見に湧いていたのです。
 先ず、1856年にドイツでネアンデルタール人類の化石人骨が発見されました。1891年にはインドネシアジャワ原人、1908年にはネアンデルタール人類に属するラ=シャペル=オ=サン人が、フランスのリムーザン地方から発見されています。言い換えると、20世紀初頭は人類進化の過程が少しずつ解明され始めたまさに「暁」の時代だったのです。しかし、まだ充分に資料や知識が蓄積されていたわけではありませんでした。そのため、社会も学会もつぎの発見を待ち望んだ状態だったのです。特にイギリスは、人類の祖先の骨がイギリス本土から発見されているのですから、国民全体がピルトダウン人に関心をよせていました。

 そのような時代に、1909年から11年にかけて、チャールズ ドーソン(Charles Dawson)によってピルトダウンから発見された頭頂骨と側頭骨が、大英博物館にもたらされました。ドーソンは、弁護士でありアマチュア考古学者でもあったイギリス人です。また、ピルトダウンは、のイギリスのイースト・サセックス州アックフィールド近郊の地名です。

 大英博物館(ロンドン自然史博物館)のアーサー スミス ウッドワード卿の研究室にもたらされた頭頂骨と側頭骨は、頭蓋骨が人間並みに大きく、類人猿のように突出した顎を持っていました。ウッドワード卿は1911年に自ら現地に赴いてドーソンと共同で発掘を行なっているのですが、この時にも後頭骨や下顎骨の一部、石器のほか年代推定の根拠となる動物化石を発見しました。その後も犬歯などの断片的な化石が発見され、それらを研究したウッドワード卿は発見された化石人骨に 学名を与え発表しました。もちろん、全て間違いだったのですが、ウッドワード卿がねつ造に荷担した証拠は全くありません。
また、名前は、「エオアントロプス ドーソニ」「ドーソン(氏に由来)の、夜明けの人」との語義を持った名称です。

 ウッドワード卿は、発達した脳と原始的な顎の特徴、伴出した動物化石等からピルトダウン人を更新世初期(258万~180万年前)の古人類と考え最古の人類と見なしました(この頃は、放射線測定はありません)。

 しかし、これらの研究に疑惑がなかった訳ではありません。ドーソンが自宅で骨を造っているのを見たという話が流れたこともありました。また、専門家の中でもボヘミア(現在のチェコ西部)生まれの米国の人類学者アレシュ ヘリチカは下顎骨は類人猿のものであろうと唱えてピルトダウン人の化石を否定しています。

 しかし、英国を代表する考古学者、イギリス人類学界の大御所であったアーサー キース卿やグラフトン エリオット スミス卿などの著名な学者の支持を得たこともあって、ピルトダウン人は現生人類の直系の祖先と認められてしまったのです。

 この辺りは、今も変わりません。理化学研究所が認めてしまえば、おいそれと反対意見は唱えられないのです。

 今度は、本当に明日に続きます。