takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

STAP細胞と科学の歴史-常温核融合

 N線は110年前、ポリウォーターは50年前の事例です。このブログを読んでくださる方の中には、「そんな昔の例では仕方がないのでは?」と考える方もいらっしゃるかもしれません。加えて、このような逸脱が発見者や周りの科学者の間でどのように、何時から注目されるようになったのか、その正確な期日を特定することはできません。

 

 しかし、常温核融合となると話は別です。今回は、科学史に残る、三つ目の科学的過ちについてご説明します。

 

 今から、25年前、1989年3月23日の木曜日、化学者スタンレー ポンズとマーテイン フライシユマンはユタ大学で記者会見を開きました。その様子はその日の夕方の全国ニュースで広く放映されました。彼らは、簡単な装置を使って室温で核融合を実現する方法を発見した、と公表したのです。この現象を指す「常温核融合」(当初は「低温核融合」と訳されています)は、その後、果たして事実であるのか、それとも幻影であるのか、数年にわたって論争が続きます。厳密にいえば、ある意味現在でも続いているとも言えますが、2000年以降、まともな科学者は常温核融合を相手にしません。ですから、「Nature」、「Science」などでは、常温核融合関連の論文掲載を拒否しているようです。

 

 この従来の常識を覆す誤発見には、1987年に発見された高温超伝導(高温と言ってもマイナス200度ぐらいです)の影響がありました。絶対零度に近い低温でしか起きないとされていた超伝導が、それまでの理論の予言からは説明のつかない高温で起こるという高温超伝導現象が発見されて世界的なブームになっていたのです。つまり、ここでも時代が新しい理論の発見を求めていたのです。さらに、フライシュマンがイギリスの電気化学の大家であったことも影響しているでしょう。

 

 当時の論調としては、極低温の世界で新たな超伝導物質が従来の常識を覆したように、原子力の専門ではない、他分野の専門家が核融合の常識を覆したと騒がれています。

 

 もちろん、世界中の研究者たちが追試験を行いました。また、様々な仮説も立てられ、オカルト系の学者?達はこの現象に群がりました。さらに、追試を行ったグループの一部はフライシュマンらと同等あるいはそれ以上の結果を得たと報告したことも、騒ぎに拍車をかけることになりました。しかし、世界中で実施された追試の圧倒的多数は核融合反応や入力以上のエネルギー発生が観測できなかった事、追試に成功したと報告された条件でも現象が再現しない事が段々とハッキリしてきたのです。加えて、理論的にはありえない現象であることなどから、電気分解反応で生じた発熱量の測定を誤ったのではないかと結論されました。当時の東京大学学長で原子核物理学者である有馬朗人博士は「もし常温核融合が真の科学的現象ならば坊主になる」と発言しマスコミを賑わせました。

 

 ポンズとフライシユマンは、実際に常温核融合をなし遂げたと記者会見で報告しています。おそらく、相当な自信を持って会見に臨んだことでしょう。彼らに、テーブルに載せられるサイズのガラス瓶の中で核融合が起きていると言わせた理由は何だったのでしょうか。一つ目の理由は、熱です。通常の電気分解を行っただけでは、決して出ないほどの熱量が観測されたのです。もう一つは、ガンマ線の検出です。重水の電気分解を行っただけでは、ガンマ線が出ることはありません。それが検出されたのです。しかし、彼らは二人とも化学者であり、原子物理学者ではありませんでした。やはり、どこかで間違えたのでしょう。

 

 マーテイン フライシユマン教授は、2012年に亡くなりましたが、亡くなる寸前まで常温核融合の研究を続けています。また、相方のスタンレー ポンズ教授は、現在も研究を続けています。二人は、常温核融合のパイオニアとして国際常温核融合学会(英語です)で活躍していました。

 

 最後に、STAP細胞は女性科学者のアイディアではありません。彼女の師である、ハーバート大学メディカルセンター教授のチャールズ バカンティ教授のアイディアです。バカンティ教授によれば「彼女がいなければ、これほど早く研究は進まなかった」といことです。加えて、バカンティ教授は再生医療が専門ですが、分子生物学は専門外です。マスコミがなぜ、バカンティ教授をもっと取上げないのか不思議です。