takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

何もしないで体重が変わる?

1㎏はどこまで1㎏ですか?

何もしなくても体重が変わるのは自然のことです。

人は代謝がありますから、常に変化しています。

ここで言うのはそのことではありません。

1キロの基準が変わるのです。

質量の単位「キログラム」を新しく定義する技術的な手法を確立したと、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)など5カ国の研究機関が発表した。約130年間にわたり、パリに保管されている分銅「キログラム原器」が重さ1キロを示す「物差し」とされてきたが、役割を終えることになった。来年11月の国際会議で正式に決定される。 

長さの基準は?

長さの基準が光速に置き換えられたのは、1983年でしたが、メートル原器の場合はそのもっと前の1960年に役目を終えていました。

長さは、1790年代に地球の子午線の4,000万分の1が1メートルと決められ、その後1872年に30本のメートル原器が作られました。日本にもNo22が届いています。

しかし、いから白金とイリジウムで作っても経年変化は避けられません。

そこで1950年、メートルの定義は、クリプトン-86が真空中で発する電磁スペクトルであるオレンジ色‐赤色の発光スペクトルが示す波長の1650763.73倍と等しい長さへと変更されました。
この「0.73」という半端な小数点以下部分は、あくまでメートル原器の長さに波長数を合わせたために入れた数値です。
要するに、大きく変わるとすでにメートル原器で作ったものが沢山ある訳ですから不都合だったのです。その後さらにメートルは、不確実性の低減を目指し、1983年の第17回CGPMでメートルの定義はさらに変更され、現在用いられている「光速」と「秒」で表す方法になりました。これはセシウム原子時計が発明され、からできたことです。
いずれにしても、電子工学の力が測量や加工技術の誤差を埋めて正確な1メートルを定義出来るようになったのです。

しかし重さの基準は難しかった

他のSI基本単位は普遍的な物理量に基づく定義に改められてきたのに対し、キログラムだけが人工物に依存する単位として残っていました。
今回の発表は、それを克服できたことの発表です。

ちなみに、日本国キログラム原器は国際キログラム原器に比べて0.176mg重いことが分かっています。1㎏に対して0.176mgの誤差は大きいですよね?

体重50㎏の女性なら(そんなに無いと言わないで下さい)8mgの差です。

(どうでも良いか?)

話を戻します。
そして、毎日新聞の記事の中にもありますが「日本が単位の基準に関わるのは初めて。創薬や微粒子を測る環境計測など微量を扱う分野に活用できる」とのことです。

 

科学技術の世界ではこんなつまらないことも、丹念に調べてコツコツ行っていると思って下さい。

 

 

『永久機関』という永遠の夢あるいは、永遠の嘘ー1

現在ではそれほどではありませんが、熱力学の法則が明確になるまで、永久機関は科学者や技術者の夢でした。

例えば、前回リンクしたエッシャーの絵を単純なイメージにすると、以下のようなものでしょう。一目で「あれ?」と思いますが、エッシャーの絵はこれが巧妙に描かれていると思えばよいのです。

 

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永久機関の定義を簡単に言うと、外部からエネルギーの供給を受けずに仕事を続ける装置です。

中世時代には、もっと単純に外部からエネルギーを供給しなくても永久に運動を続ける装置と考えられていました。しかし、慣性の法則によれば外力が働かない限り物体は等速直線運動を続けます。また、地球だって角運動量保存の法則により46億年も自転と公転を続けています。そのため、単純に運動を続けるのではなく、外に対して仕事を行い続ける装置が永久機関と呼ばれます。

これが実現すればエネルギー問題は一気に解決、石炭も石油も不要です。世界経済は大混乱になるでしょうが、公害問題も解決できるでしょう。ですから、一獲千金を狙う、科学者や技術者は夢中になりました。人生を狂わせた人もいます。

ごく一部の「フリーエネルギー論者(≒永久機関を信じる人)」は、「自分が発明した、永久機関は、石油メジャーの手によって、抹殺された、私も命を落とすところだった」などと語ります。本気だとすれば、病院に行くべきです。金儲けのためだとすれば、許せない人です。

話を戻します。これは、もし本気で調べて書きだせば1冊の本になると思います。技術の歴史が好きな私としては、早く今の本を書き上げて、永久機関についてその歴史を書いてみたいところですが、出してくれる出版社はないでしょう。

現在ではまともな科学者・技術者は永久機関に興味を持ちません。もちろん、私も歴史的な意味以外では永久機関について考えると言うことはありません。

ですから、本や資料も少ないのが実情です。

今、手に入れやすい、まともな本は1冊だけ。「永久運動の夢」 (ちくま学芸文庫) 文庫 です。

永久機関のために1冊の本を読むのは嫌だと言う方は、このブログを読んで下さい。

 

熱力学の法則により、永久機関は作れないことが理論的に分かったのは、19世紀の中頃です。これ意外と遅い気がしませんか?

そのため、18世紀の科学者、技術者は永久機関を開発しようと精力的に研究を行っています。しかし、18世紀の終わりには純粋力学的な方法では実現不可能だということが明らかになりました。(下の絵のような装置です)

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今なら、一目で「こんなもの動く訳けがないだろう」と言うところですが、当時はまじめに考えて真剣に作っていたのです。

逆に、飛行機だって「人が空を飛ぶなんて無理に決まっているだろう!」と言われていたのですから、永久機関だって作れないはずはないと考えた人はいたのです。

しかもです、本人は本気でしょうから、笑いはしませんが、現在の日本でも永久機関を発明したとして、特許申請を行う人がいます。もちろん特許は認められていません。

特許庁のデータでは、1993年から2001年6月の間に35件の出願があったようです。そのうち5件に審査請求がありました。審査請求にはそれほどお金はかかりません。

まともな、弁理士さんは永久機関を取り扱わないと思います。おそらく自分で特許明細を書いて出したのでしょう。

続きます。

 

 

 

エッシャーの滝

オランダの版画家、エッシャーに永久機関を彷彿させる作品があります。

 

閉じた水路を滝が循環して流れる不思議な「だまし絵」です。水は高低差があるからこそ流れ落ちます。滝が水路を1周して元の位置に戻るはずはありません。戻るはずはないのですが、この絵に描かれた滝の流れをたどっていくと、どういうわけか出発点に帰ってきてしまいます。一瞬,狐につままれたような気分に陥る奇妙な世界がそこに広がる訳です。

マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898年6月17日~1972年3月27日)は、オランダの画家(版画家)でした。建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの等、非常に独創的な作品を作り上げました。

エッシャーは、1958年に著した『平面の正則分害』のなかで、なぜ正則分割を使うかについて語り、正則分割幾何学的要素について例をあげて説明しています。そして図と地に関する重要な問題を解き明かしながら形態を変容させる展開へと導いています。
しかし、この作品の構図はどうやって思いついたのだろう?と考えてしまう作品ばかりで、この特殊な絵を考えついた、特殊な才能に驚くのです。

もちろん,これは目の錯覚を利用したものと言ってしまえば、それだけです。

でも、この独特で幻想的な画風と幾何学的に巧妙なテクニックは、観る者に驚きを与え、不思議な感覚の中に連れ出されてしまいます。

『平面の正則分害』の中には、発想のヒントになるようなこんな文章もあります。

 

最初は,図形を系統的に作り上げる可能性についてどんなアイデアも持っていなかった。私はなにも「基本原理」を知らず,どうすればよいか見当もつかないまま,動物に見たてた合同な形を入り組ませようとしていたのだ。

しかし基本原理に関する多くの文献を研究し,とりわけさまざまな可能性を考えさせた素人理論が形成されるにつれて,数学の訓練を受けていないための限界はあるが,それでもだんだんと新しいモチーフのデザインがたやすくなってきたのである。

私はそれに取りつかれたように心を奪われ,本当のマニアのように浸りきって,時々そこから自分自身を引き離すのが難しいほどであった。

 (強調は、匠習作)

文献を研究し、書物を読むことで、「新しいモチーフのデザインがたやすくなってきた」のが、本当なら凄いことです。本を読んで絵のデザインができるのでしょうか?

本人がそう言うのですが、これは何か違うのではないかと思います。

何度も絵を描いて、行き詰まって、また描いて、そして文献を研究して、この繰返しの中で、絵を描いたことを省いて説明しているのではないかと思います。

冒頭で紹介した、滝の絵は、永久機関を思い出させます。

永久機関は、世界の技術史を調べる上で、欠かせない要素の一つです。これから、何回かに分けて、このエッシャーの絵にちなんだ、永久機関のことぉ書いて見ます。

それほど、長くは書きません、3~5回程度で終るでしょう。

 

 

 

今のところ地熱発電にはあまり期待しない方がよい

メルマガ:ダイヤモンド・オンライン
16/9/28号に以下の記事がありました。

diamond.jp

正直言って、現在の地熱発電は効率が悪過ぎます。

エネルギー庁が公表している資料から蒸気量と発電量の比から、日本の地熱発電所の平均発電熱効率を求めることができます。その効率はなんと、15~20%の範囲です。このため発電量の4倍以上の熱が地上に放出されます。殆どの地熱発電所は山中にありますから、冷却手段は冷却塔を用いるしかありません。大規模なものを作ると、周辺が蒸し暑くなるでしょう。

また、これは原因不明ですが、ほぼ全ての蒸気井戸は数年で出力が落ちます。ですから、どこの地熱発電所でも、数年毎に補充井の掘削を実施を実施しています。平均して 3.1年に 1 本の頻度で掘削しているようです。しかし、その補充井を掘削したとしても、ほとんどの発電所が所定の出力を維持できていません。実際、年間発電電力量は2012年のエネルギー白書によると1997年の37.57億kWhをピークに2010年には26.32億kWhと30%低下しています。

なにしろ、今では地熱発電所を観光名所にして副収入をあてにしています。

政府の予算も、1985年をピークに2003年には予算ゼロまで落ちました。

よく、地熱発電のデメリットとして、設置場所が国立公園の中になる場合が多く、制約条件が厳しいと言います。しかし、そんなことより、今の技術では効率の悪さと、出力低下を何とかしないと大きく普及させるのは難しいのです。国立公園内に設置されるのは、水力発電のダムなども同じです。

私は、日本で地熱発電を普及させるなら「高温岩体発電」しかないと思っています。
これは、天然の熱水や蒸気が乏しくても、地下に高温の岩体が存在する箇所を水圧破砕し、水を送り込んで蒸気や熱水を得る方法です。この方法なら、温泉と競合もしません。


日本の場合は、この温泉との競合が一番のネックになっているのです。ようするに、地熱発電ができるところは、温泉地帯です。発電用に蒸気をどんどん使えば温泉が枯渇するのではないかという不安です。これを回避するには、地下の水(温泉?)を使わない、「高温岩体発電」しかないと思います。

要するに、地下の熱源で注水した水を蒸気に変える訳ですから、これなら温泉も枯渇しないでしょう。もちろん、成分に影響が出るか出ないかは、今のところ分かりません。

www.enecho.meti.go.jp

ただ、「高温岩体発電」は、今のところ技術的に確立されていません。

現時点の課題として「地震の誘発」と「注入水の確保困難」も指摘されています。
スイスのバーゼルでの事例では注水により地震が誘発され、その地震により約900万ドルの物的損害が発生しています。この事故では、プロジェクトは中止され開発企業の社長が起訴され裁判にかけられました。加えて、注入した水の回収率は80%以上でなければ実用化に影響が出るとされています。

 

地熱発電は、太陽光や風力と異なり、24時間稼働可能です。メンテナンスを除けば、常に発電できる自然エネルギーは、水力と地熱だけです(細かなものは除きます)。

国内の地熱発電所は、70%程度の稼働率です。先進国では、電気は常に必要です。天気の良い時だけ、工場を動かすという訳には行きません。風力も同じです。ですから稼働率の高さは地熱の魅力です。

しかし、詳しく調べて行くと、やはり問題は山積みです。

何とか、この問題を解決できる技術を考え出し、日本のエネルギー状況を明るく変えて欲しいと思っています。

 

 

『あなたの体は9割が細菌』って本当ですか?

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売れているみたいです。

内容は専門的ですが、文章は平易です。

河出書房新社のサイトには、著者アランナ コリンの紹介があります。

インペリアル・カレッジ・ロンドンで学士号と修士号を取得し、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンおよびロンドン動物学協会で進化生物学の博士号を取得。『サンデー・タイムズ・マガジン』誌などに寄稿している。

博士号を持った、科学ジャーナリストと言ったところでしょうか?

日本には、すくないですね。

この本、話としては面白いのですが、この体細胞と体内細菌数の割合には無理があります。

一昔前に流行った、数値です。

要するに、体内細菌の数は、体細胞の10倍程度、そうすると比率で言えば9割程度が細菌と言うことになります。

では、どうやって人の体の細胞数を数えるのでしょうか?

また、体の中の細菌数はどうやって数えるのでしょうか?

 

実は、体細胞の数を数えるのはとても難しいのです。

そのため、以下のように推定します。

人の体細胞で一番多いのは何でしょうか?

答えは赤血球です。全身の細胞に酸素を運ぶ必要があります。ですから、数は当然多くなります。

その数は血液1μℓあたり成人男性で420-554万個、成人女性で384-488万個程度です。
これは、献血の前に測定器で測定してくれます。あまり少ないと献血できません。
私は、よく献血に行きますが、大体460万個とでます。繰り返しますが、1μℓ中にこの数です。総数ではありません。血液の体積の50%は、赤血球です。

標準的な体格の成人なら、およそ3.5-5リットルの血液があります。そうなると、体内の赤血球の総数はおよそ20兆個になります。
実は、体細胞の数は、この赤血球との比率から推定されています。

その比率から計算すると、体細胞の数は、40兆~70兆と推定されています。倍近い開きがありますが、実際に体重40キロの痩せたおじさんと、体重120キロの太ったおじさんでは、それくら細胞数も異なるかもしれません(肥満細胞はそれ自体大きいのですが)。

 

また、体内の細菌数はどうやって数えるのでしょうか?

体内の最近は、ほとんど消化器官の中にいます。そもそも、他の器官にいたら病気で死んでしまいます(敗血症)。そこで、1グラムの便の中にどれくらいの細菌がいるのかを調べます。

そこから推定された、最も信頼性の高い数値は、体内細菌数40兆程度と言うものでした(胃の中のピロリ菌も数えます)。

ですから、体細胞と体内細菌の数は概ね等しいと考えるのが妥当なようです。

現在、この世界の専門家で、9割が細菌説を信じている人はほとんどいません。

逆に「ゴロが良いから、都市伝説として流行ったのだ」と言う方までいます。

以下、ナショナルジオグラフィックから、体内細菌の電子顕微鏡写真です。

あなたの体の中もこんな感じです。外見の美醜とは関係ありません。

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とは言え、この本、体内細菌の重要性を伝える意味では、良い本です。

売るためのタイトルは、この程度なら方便なのでしょう。

 

ちなみに、このような数値の間違いは随所に見られます、科学の良いところは、それを自己修正できるところにあります。

上記と関係ありませんが、皆さん、マグロの泳ぐ速度ご存知ですか?

少し前は時速80キロとか、言われていました。これも完全な間違いです。

15キロ~20キロが限界です。

そもそも、空気の780倍の密度の中でそんなに早く移動できるはずはありません。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

 

エンジニアの成長戦略

日本実業出版さんから、2冊目の本を出して貰えることになりました。

1冊目は技術士試験の対策本でしたから、試験を受ける人以外は購入しません。でも今回の本は、若手エンジニアから中間管理職ぐらいまでの技術屋さんが対象です。IT系から、私のようなハード系エンジニアまで自らのエンジニア人生を設計したいと考えている方は、ぜひ読んで下さい。

と言って、すぐに出るのではありません。企画が通り、出版が決まっただけです。原稿執筆はこれからです。11月末までに書き上げます。ビジネス書は7割近くが自分で書いていないと言う話です。私の場合、有名人ではありませんから、当然自分で書きます。

以下、「はじめに」の部分と目次です、最終的に少し変わり可能性はありますが、大きな変更はありません。それだと別の本になってしまいます。目次の順番が変わる程度です。

 

『エンジニアの成長戦略』:企業が成長するんじゃない、成長するのはあなただ

 

はじめに~エンニジアは自分の人生を設計すべき~

 

パリのエッフェル塔をご存知だろうか?

実物を見たことはなくても、名前はご存知かと思う。また、テレビや写真、ネットでその外観は見ているだろう。

そのエッフェル塔は、パリ7区、シャン・ド・マルス公園の北西に建っている。竣工は、1889年(明治22年)、フランス革命100年祭の記念に建てられた。建設には2年を要し、費用は当時で650万フランを投入している。高さは324メートル、東京タワーよりほんの少し低い。

また、竣工した1889年から1930年までの間、エッフェル塔は世界一高い建築物だったことも影響し、今でも年間600万人、竣工から2006年までには2億人の観光客が訪れている。世界で最も多くの人が訪れた有料建造物でもある。ちなみに、東京タワーは、年間300万人程度。(詳しくはhttp://www.toureiffel.paris/

さて、そのエッフェル塔だが、その名前の由来はそれほど知られていない。まだ、電動クレーンの無かった時代に高さ300メートル以上の塔を建てようと考えるのは途方もないアイディアだったと思う。しかし、それを考えた建築士(エンジニア)がいた。アレクサンドル ギュスターヴ エッフェル。エッフェル塔の設計者であり、工事を請け負った建設会社エッフェル社の社長である。

エッフェルは、1832年生まれ、建築物の構造設計を専門とするエンジニアだった。

当時の理工系学校の名門、エコール デ ポリテクニークを目指したが、受験には失敗した。しかし、エコール デ ポリテクニークと並び称される、エコール デ サントラルに入学、ここでなぜか化学を学び修めている。

さらに、卒業制作では、化学製品そのものではなく化学工場のモデル建設、これがエッフェルの将来を暗示していたと言って良い。

1966年に後輩の資産家をパートナーとしてエッフェル社を設立。そこからは、万博の展示場、駅舎ホール、チャペル構造、ガス工場、鉄道高架橋、可搬橋や可動橋、天文台の丸天井など多種の鉄骨構造建築物を多数建造している。

鉄は、19世紀の技術的象徴であり、当時、まさに石の建造物から鉄材を使った建造物に移り変わる瞬間だった。石の建造物に比べ、強靱で軽く、そのため基礎工事を簡単なものにすることができた。まだ、電気溶接の無い時代だったが、鉄骨材はリベットで接合することができた。そのため工場で正確に作った鉄骨材をリベットで接合していくことで建造物が完成した。その早さは、当時の基準で驚くほどの早さだったと言う。また、エッフェル塔の工事は、2年2ヶ月と言う驚異的な短期間工事でありながら、一人の事故死者も出していない。

晩年のエッフェルは、1900年頃、会社経営から身を引き、娘婿と旧友に会社を委ねた。本人は、エッフェル塔の4階にサロンを設置し、ここで気象観測、天体観測、生物学的観測、無線逓信研究にいそしんだ。

さらに、1903年、70歳をすぎて改めて風の制御に関する研究にとりかかっている。知的好奇心旺盛な彼は、科学的な風の解析をはじめ風の科学を確立し、風の現象を視覚化することにある程度成功している。このことは、1903年にライト兄弟の実験によって成功した、航空機の進歩にも多いに貢献した。

そして、1923年、自らが設計したパリの自宅で91歳の生涯を閉じている。

まさに、絵に描いたようなエンジニア人生を送ったエッフェルだが、彼は、ある程度、計画的に自分の人生をコントロールしている。しかし、全て成功だけで歩んだ訳でも無い。1884年には、タルド河のエヴォー高架橋を建設途中に倒壊させる大事故を起こしている。これが、あったために、建設現場での安全管理に深く配慮するようになり、エッフェル塔の工事では、一人の犠牲者も出さなかったのである。

失敗をもとに、次のステップを考え、同じ過ちを繰り返さない。これもエンジニアとして学ぶべき点だと思う。

この本は、エッフェルを紹介する本ではない。しかし、「はじめに」の部分で長々とエッフェルのことを紹介したのは、100年後に生きる我々にとっても彼の生き方には学ぶべきところが多いと考えたからである。

技術者=エンジニアとするならば、エンジニアとは何か、一言で言えば、発明するひとである。

エンジニア(Engineer)のEngine-の部分の語源であるラテン語ingeniumは、-gen-の部分が「生む」行為を意味している。同じ語源でIngenious(独創的な)という単語もある。加えて、1818年にイギリスで結成された世界最初の土木工学会では,エンジニアリング(工学)のことを「自然にある大きな動力源を人間に役立つように支配する術」と定義している。

この本では、現代に生きるエンジニアに対し、どんな計画を立てればエンジニアとして生きがいのある人生を送ることができるのか提案している。もっと言えば、エンジニアなのだから、計画を立てると言うより、まさに自分の人生を設計することを提案している。

情報化社会と言われる中で、知識そのものの価値は随分と下がった。しかし、その増えた情報・知識を駆使して新しいモノを生み出す知恵あるいは応用能力の価値は下がっていない。いや、むしろ上がっていると言って良い。組み合わせるパズルの量が増えたため、必要なものをピックアップし、組み合わせる能力はむしろ重要なのだ。そのために、何をすればよいのだろう。本書は、あなたのエンジニア人生を設計する上で、その元となる設計書を目指している。目的と機能を明確にして、合理的にあなたの才能や好きなことを表現できるようにするためには、どうすればよいのか、そこに注意を払っている。

私は、仕事の一部として、ここ数年、日本のエンジニアに取っては、最高の資格であると称されている、「技術士」試験のアドバイスを行っている。その中で、30代から60代まで様々な分野の専門技術者と巡り会うことができた。受講者の皆さんからは、「先生」などと呼ばれている。しかし、実はそうではない、より多くを学んでいるのは私自身だと思っている。「先生」は、受講者なのだ。

本の構成は以下のようになっている。

第1章から、3章までは、これまでのエンジニア、これからのエンジニアを大枠で説明している。また、技術士会が提唱している「π型」エンジニアについても、概念を説明した。設計の目的と言って良いだろう。

4章以降は、具体的な設計手法、手順を意識した作りになっている。また、最終章では、技術士を目指すことや、エンジニアとして独立することにも触れている。独立するしないは、あるていど個人的な好みにもよるだろう、私は偶然後者を選んだだけである。誰にでも勧めるという訳ではない。しかし、技術士取得の方は、誰にでも勧められる、特別に難しい資格ではない。計画的に勉強すれば1~3年程度で取得できるはずだ。無謀な試みではない。

本書が、若手エンジニア、あるいは中間管理職にあるエンジニア諸氏にとって、エンジニア人生を設計する良き手引き書になることを願っている。

けっして、たんなる学習の方法論を説いたモノではない。

 

 

仮題:『エンジニアの成長戦略』:

サブタイトル:企業が成長するんじゃない、成長するのはあなただ

(1節5ページ、1章7節で35ページ程度、全部で260~280ページ)

 

目 次 案(レジュメ案)

はじめに エンジニアは、自分の人生を設計すべき

 

第1章 エンジニアとはどういう存在なのか

「一度しくじつたからといつて目的を捨ててはならない、腹に決めた事は決めた事だ。」

シェイクスピアテンペスト」第3幕第3場(福田恆存訳)

  1節 エンジニアになったと言うことはプロフェッショナルの道を選んだということ

  2節 専門職への自己宣言

  3節 そもそも技術とはなにか

  4節 科学者は真理を見つけ出し、技術者は発明する

  5節 エンジニアの道は茨の道か?

  6節 プロメテウスの炎

  7節 エピメテウスになってはいけない

第2章 20世紀までの常識は捨てろ!

  1節 1996~2006年の10年で個人の接する情報量は〇〇〇倍になった

  2節 近年のトピック、発明のトピックから考えること

  3節 消えた技術はいくつある?

  4節 古いアイディア+古いアイディア+古いアイディア+・・・=斬新なアイディア

  5節 大人の発想力と子供の発想力

  6節 自燃型・可燃物・不燃物

  7節 21世紀のエンジニア

第3章「π」型エンジニアとは

  1節 技術士会が提唱している「π」型エンジニアの意味

  2節 2本足のエンジニアを目指す

  3節 異分野のエンジニアとは積極的に交わる

  4節 専門知識だけでは生き残れない

  5節 文系社員とのコミュニケーション

  6節 エンジニアのプレゼンテーション

  7節 あなたの成長戦略を計画する

第4章 知識をインプットして経験の糸でつなぐ

  1節 言葉・言葉・言葉

  2節 知識はしょせん雑学

  3節 経験の糸

  4節 コンピテンシィーを持つ

  5節 財務諸表を覚えるよりも経営感覚の方が大事

  6節 知財に関する法律はあなたを助ける

  7節 特許は誰のものか

第5章 組織と個人、それぞれのジレンマ

  1節 努力は必要だが精神論に逃げないこと

  2節 何がイノベーションのジレンマなのか

  3節 個人にとってイノベーション

  4節 組織のジレンマ

  5節 オクトパスポット(タコツボ現象のことです)

  6節 アイディアの生まれる場所

  7節 相手は人?それとも物?

第6章 技術をマネジメントする

  1節 なぜMOTを身に付けなければならないか

  2節 エンジニアは、マーケッティングを誤解している

  3節 経営者と技術者

  4節 インターフェースの必要性

  5節 CTO(最高技術責任者・Chief technical officer または Chief technology officer)

  6節 新事業を生み出すものは?

  7節 お互いに成長できる関係

第7章 キャリアップできる転職(ここから転職の説明、最後に独立のことも少しだけ)

  1節 時間?能力?どちらを売る

  2節 あなたの価値観・能力・興味は表現されているか

  3節 転職率は高くはない

  4節 経歴票は、業務報告ではない

  5節 同業他社への転職時に留意すべきこと

  6節 韓国や中国へ転職した際の技術漏洩、守秘義務の問題

  7節 女性エンジニアはここに注意

  8節 資格で独立できる訳ではない

  9節 技術士取得も考えて見よう

  10節 フリーエンジニアになるということ

 

おわりに どんな時代でも技術は必要とされる

 

宇宙大作戦≒スタートレック

前回、書いた通り『スターウォーズ』は大好きな作品ですし、名作です。

まさにスペースオペラ、日本の『宇宙戦艦ヤマト』とは全く異なります。

話はそれますが、『ヤマト』の劇場版をざっと見て下さい。

劇場アニメ映画

   (ちなみに、スターウォーズの1作目は、1977年公開です。)  

上記の他に『宇宙戦艦ヤマト2199』というテレビアニメ・シリーズ『宇宙戦艦ヤマト』の総集編もありますが、これはまあ良いとします。
第一章、2012年4月7日公開。
第二章、6月30日公開。
第三章、10月13日公開。
第四章、2013年1月12日公開。
第五章、4月13日公開。
第六章、6月15日公開。
第七章、8月24日公開。

 

「さらば」 と言ってから「永遠に」とだめ押しして、「完結編」そして「復活」ですからね~。

個人的には、『さらば』で止めておけば良かったと思います。

関係ありませんが、ターミネーターも『3』までですね。

お金になると思うと、ファンの気持ちを無視して作りまくるのは良くないのです、作るなら、常に前作を超えるような作品を作って欲しいものです。

 

話を戻しましょう。その『スターウォーズ』ですが、ミレニアムファルコンの速度が遅すぎると書きました。本当に遅すぎます。光の速さの1.5倍程度では、銀河帝国を自在に移動するのは不可能です。仮に銀河の1/100をその領域としても、1000光年の移動が必要です。端から端まで動くのに630年も掛かったら帝国を築くことはできません。

では、どれくらいの速度が必要でしょうか?

スターウォーズ』とならぶ宇宙ファンタジー『スタートレック』を見てみましょう。

ちなみに、TVシリーズでは『宇宙大作戦』と呼びます(日本の場合)。『スタートレック』は劇場版の題名です。

スタートレックに出てくる「USSエンタープライズ号」は、シリーズ毎に性能もスタイルも変化します。その速度は、旧表示でワープ5~ワープ12です。

仮にワープ2の場合、数字の部分を3乗するので、光速の8倍。ワープ3なら光速の27倍です。ワープ10なら実に光速の1000倍です。これなら、大航海時代の帆船が太平洋を冒険する感覚で地球近傍の銀河系内を探索できるでしょう。1000光年の移動なら1年です。

スタートレックの最初の作品は1966年に公開されています。当然スターウォーズの制作メンバーは、スタートレックを知っているはずですから、どうして参考にしなかったのでしょう。宇宙の広さに考えが及ばなかったのでしょうか?

 

次回から数回に分けて「スタートレック」のことをご紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

スターウォーズは大好きなんだけど

告知

3月20日(日曜)池袋のアットビジネスセンターの貸し会議室で「平成28年度技術士二次試験申込み書の書き方」講座を開催します。12名限定の講座です。定員になり次第締めきります。

開催時間:10時~16時

部門はといません。

受講料は15,000円です。

当日の受講後も完成するまで添削します。

詳しくは、

技術士二次試験の対策なら 匠習作技術士事務所 - 技術士二次試験対策講座

をご覧下さい。

 

ここから、今日のブログです。

スターウォーズは、これまでと少し路線が変わったようですが面白い映画です。笑いと、スリルの両方が楽しめるよくできた映画と言って良いでしょう。

この映画に何度も出てくるハン ソロ船長の宇宙船「ミレニアムファルコン」は、ソロ船長曰く「銀河最速」の宇宙船であり、どんな追っ手も振り切って逃げる能力を持っています。

もっとも、普段の通常航法ではそれほど早くありません。スターデストロイヤーを振り切れず、ルーク スカイウォーカーに「ちっとも早くないじゃないか」と叱咤されています。

映画の中でハン ソロが何度も口にする「光速の1.5倍」という早さは強力なイオンエンジン(探索機ハヤブサに搭載されています)を使った、ハイパードライブ航行の時にでる速度です。光の速さの1.5倍、秒速45キロメートル。これまでに人類が作った乗り物で一番速いのは太陽系から脱出する予定のボイジャーだと思いますが、それでも秒速20キロメートルに過ぎません。ミレニアムファルコンの2万分の1以下です。ウサイン ボルトが秒速10メートルですから、その2万分の1では秒速0.5ミリです。カメより遅いことは間違いありません。

ここでは、イオンエンジンで光速を超えるかどうかは、問いません(超えることはありませんが)。私が気にしているのは、光速の1.5倍の速度で恒星間旅行ができるかどうかなんです。

地球から最も近い恒星まで4.3光年、要するに光の速さで4.3年かかります。4年4ヶ月です。これがミレニアム ファルコンなら2年10ヶ月で到着するわけです。この時間、少し長いと思いませんか?

地球から100光年(ミレニアムファルコンなら66年で到着できる)距離内におよそ1000個の恒星系があります(高度な文明社会がないことは分っています)。銀河系の大きさは長径10万光年、短径8万光年、厚さは最大で15,000光年ぐらいです。その中の半径100光年の世界では「銀河帝国」とか「銀河共和国」などと言えないかもしれません。仮に、四国程度の大きさで「地球共和国」と名乗るような感じです。

しかし、その半径100光年の世界でも移動時間は長すぎです(光速で動く宇宙船の中では時間の流れが遅くなりますがそこは無視しています)。

宇宙戦艦ヤマトは、17万光年離れたイスカンダルを1年で往復しました。(光速の34万倍)

銀河鉄道スリーナインは1年で。200万光年離れたアンドロメダ星雲に到着します。(光速の200万倍)

なんで、スターウォーズは、光速の1.5倍で「銀河最速」にしたのでしょう?

私は、そこが不満です。

次回は、私の大好きな「スタートレック」のエンタープライズ号について語ります。

 

『プルーストとイカ』

今年の正月は、ほんとに良い天気に恵まれました。

と言って、別にどこへも出かけなかった私ですが、近所のスーパー銭湯にはぶらりと行きました(2日の土曜日)。後は、年賀状を投函するために、少し遠回りして散歩をしたぐらいです。

 

さて、早く読めなかったことを後悔するぐらい面白い本だった「プルーストとイカ」です。先ずは、本の中で詳細に書かれている「ディスレクシアDyslexia)」についてご説明しましょう。

 

ディスレクシアとは、学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害です。顕著な例では数字の「7」と「しち」を同一のものとして理解が出来なかったり、文字がひっくり返って記憶されたりして正確に覚えられない、など様々な例があります。

諸外国によって事情は異なりますが、アメリカでは、全体の10~20%が程度の差はあれディスレクシアであると言われています(いくらなんでも多すぎるような気もします)。

音声言語の場合は、ウェルニッケ野とブローカ野によって処理されます。この部位は人類百万年の進化の過程で徐々に発達してきた領域で、猿人段階ですでにブローカー野にあたるふくらみが生まれていたことが分っています。例えば、現在のニホンサルなども叫び声のような吠え方で、危険を知らせる行動を取りますから、猿人や原人が音声言語に近い合図を発していたとしても別に不思議ではないでしょう。

人間の場合、耳からはいった刺激は聴覚野で特徴がとりだされ、言語を処理する専門領域であるウェルニッケ野とブローカ野を介して前頭葉に送られ、意味が理解されます。ここまでできるようになるまでに、100万年の時間を必要としたのです。

一方、文字言語はどうでしょう。文字言語の場合、目からはいった刺激は視覚野で形態情報を抽出された後、隣接する39野(角回)と40野で音声イメージに変換されます。その後ブローカー野から前頭葉に送られることがわかっています。要するに文字言語は一度「音」に変換されなければ理解されません。ディスクレシアの人はこの変換部分でつまづくらしいのです。何しろ、文字が考え出されてから1万年以下の歴史しかありません。ですから、人間の脳は文字を処理する専門の領域を進化させていないのです。従って、文字の読み書きは個人が努力して習得しなければなりません。子供の頃の読書がいかに大切なことなのか、これで分ると思います。

文字の形体をを音声に変換する39野・40野とはどのような領域でしょうか。39野と40野は視覚野・聴覚野・運動感覚野・体性感覚野に囲まれており、こうした諸領域を統合する働きをしています。おそらく、石器等を製作し使いこなすために発達した領域で、文字処理は石器のための領域を転用しておこなわれていた訳です。

現在の「ヒト科ホモサピエンス(私たちのこと)」には、文字を読み書きするための中枢領域がありません。あと数十万年すればできるかもしれませんが、とにかく今はありません。そのため、私たちは、脳の他の領域を使って代替えしています。その使い方は、幼少期の読書体験によってトレーニングされるため、人によって異なるということが分ってきました。ディスレクシアの人々は通常の人々とは異なる脳の領域を使っており、そのためスムーズな文字の読み書きが行えないと考えられています。

 

プルーストとイカ』の冒頭部分でプルーストの言葉が引用されています。

「読書の神髄は、孤独のただなかにあってもコミュニケーションを実らせることのできる奇跡にあると思う」

明日に続きます。

 

 

 

意識をめぐる冒険

この本は、343頁全10章で構成されています。

そのうち、1・2章は子供の頃からの自分の生い立ちやフランシス クリックとの出会い等自伝的な話になっています。クリストフ コッホが30年前に「意識」の研究を始めるころは、「意識」の研究なんてキワモノ扱いの状態だったようです。研究の方法自体も全く確立されておらず、どうすれば哲学や心理学とは違う科学の土俵に「意識」を乗せることができるのか?そのスタート地点の話を興味深く読むことができます。

3章からは「意識」の謎について語り始めます。脳内で生じている物理化学反応と、その脳が生み出す意識という現象のあいだには大きなギャップがあります。これは埋められないギャップだと考えている研究者も多いようですが、本の作者であるクリストフ コッホは、そう考えません。さらに哲学者や社会学者が科学の弱点を指摘する事実を述べながら、それでも「科学が最も信頼のおける方法である」と明確に主張しています。もちろん、私もそう思います。

4章の冒頭はこんな書き出しで始まります。

専門知識をもたない人が、原子物理学や腎臓透析について持論を振りまわしても、誰も相手にしてくれないのは当たり前だ。ところが、意識の話となると、関連する重要な脳科学の知見をほとんど知りもしないのに、自説を好き勝手に展開しても許されるという雰囲気がある。しかし、そんな適当な言説から意識について学べることなどほとんどない。

脳と意識に関する心理学、神経科学、医学の知識は、日々膨大に蓄積されている。脳科学者や認知科学の研究者は、世界中に5万人以上もあり、毎年、何千報もの新たな論文が発表され、過去の知見の上に積み上げられている。

 (日本では3・11以降、原子力発電の原理を知らない人でも、原子物理学の話をしていましたけど)

5章以降の後半では、コッホ自身の研究成果が語られています。コッホの推測では、おそらく「脳の前方にある前頭前皮質と後方の高次元視覚領域を互いに長い軸索でつないでいるピラミダル・ニューロンの集団ネットワークが意識の内容を担っている」とのことです。ようするに、意識を発生させる神経細胞はないのですが、いくつかの神経細胞が繋がって、相互作用することで意識が発生しているのではないかと考えられている訳です。
これは、とても面白い考え方ですね。

全体的にとても読みやすい本で、それほどの専門知識は必要としません。科学に興味のある高校生なら読めると思います。私は、2日間の通勤電車の中で読み終えました。正味、3時間くらいでしょう。

一つ注意して頂きたいのは、まだ、正解は分らないということです。この本を読み終えても「意識」が何であるのかは、分りません。ただ、最先端ではこんな研究が行われて、現在ここまで解明されたということだけが分ります。もちろん、そこがエキサイティングなところです。