『プルーストとイカ』
今年の正月は、ほんとに良い天気に恵まれました。
と言って、別にどこへも出かけなかった私ですが、近所のスーパー銭湯にはぶらりと行きました(2日の土曜日)。後は、年賀状を投函するために、少し遠回りして散歩をしたぐらいです。
さて、早く読めなかったことを後悔するぐらい面白い本だった「プルーストとイカ」です。先ずは、本の中で詳細に書かれている「ディスレクシア(Dyslexia)」についてご説明しましょう。
ディスレクシアとは、学習障害の一種で、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える障害です。顕著な例では数字の「7」と「しち」を同一のものとして理解が出来なかったり、文字がひっくり返って記憶されたりして正確に覚えられない、など様々な例があります。
諸外国によって事情は異なりますが、アメリカでは、全体の10~20%が程度の差はあれディスレクシアであると言われています(いくらなんでも多すぎるような気もします)。
音声言語の場合は、ウェルニッケ野とブローカ野によって処理されます。この部位は人類百万年の進化の過程で徐々に発達してきた領域で、猿人段階ですでにブローカー野にあたるふくらみが生まれていたことが分っています。例えば、現在のニホンサルなども叫び声のような吠え方で、危険を知らせる行動を取りますから、猿人や原人が音声言語に近い合図を発していたとしても別に不思議ではないでしょう。
人間の場合、耳からはいった刺激は聴覚野で特徴がとりだされ、言語を処理する専門領域であるウェルニッケ野とブローカ野を介して前頭葉に送られ、意味が理解されます。ここまでできるようになるまでに、100万年の時間を必要としたのです。
一方、文字言語はどうでしょう。文字言語の場合、目からはいった刺激は視覚野で形態情報を抽出された後、隣接する39野(角回)と40野で音声イメージに変換されます。その後ブローカー野から前頭葉に送られることがわかっています。要するに文字言語は一度「音」に変換されなければ理解されません。ディスクレシアの人はこの変換部分でつまづくらしいのです。何しろ、文字が考え出されてから1万年以下の歴史しかありません。ですから、人間の脳は文字を処理する専門の領域を進化させていないのです。従って、文字の読み書きは個人が努力して習得しなければなりません。子供の頃の読書がいかに大切なことなのか、これで分ると思います。
文字の形体をを音声に変換する39野・40野とはどのような領域でしょうか。39野と40野は視覚野・聴覚野・運動感覚野・体性感覚野に囲まれており、こうした諸領域を統合する働きをしています。おそらく、石器等を製作し使いこなすために発達した領域で、文字処理は石器のための領域を転用しておこなわれていた訳です。
現在の「ヒト科ホモサピエンス(私たちのこと)」には、文字を読み書きするための中枢領域がありません。あと数十万年すればできるかもしれませんが、とにかく今はありません。そのため、私たちは、脳の他の領域を使って代替えしています。その使い方は、幼少期の読書体験によってトレーニングされるため、人によって異なるということが分ってきました。ディスレクシアの人々は通常の人々とは異なる脳の領域を使っており、そのためスムーズな文字の読み書きが行えないと考えられています。
『プルーストとイカ』の冒頭部分でプルーストの言葉が引用されています。
「読書の神髄は、孤独のただなかにあってもコミュニケーションを実らせることのできる奇跡にあると思う」
明日に続きます。