takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

福島原発事故-14

2号機で起こつたことの概略

 

 2号機では、全電源喪失後に運転員の工夫や努力もあって、炉心冷却設備RCICが想定を超える長時間運転を続けました、その時間は70時間に及びます。しかし、地震発生から3日近くたった14日13時頃には、原因は不明ですがRCICは自然に停止しました。その間、RCICは、ほとんどS/C内の水を循環させて原子炉への注水を続けていました(S/Cとは、原子炉格納容器の下側を構成する部分です、ドーナツ状の丸い管で2,000~3,000トンの水が入っています)。そのため、原子炉から出る熱を格納容器の外部に捨てることはまったくできておらず、S/CおよびD/Wの温度や圧力は、運転基準を超えて高まってしまいます。

(2000トンの水は、20メートル×50メートルで深さが2メートルのプールの水と思って下さい、3000トンなら30×50メートルです。)

 

 RCICが停止した後は、取り得る代替手段は消防車による注水に限られていたのですが、そのような事態を予想していた対策本部は、事前に消防車による注水ラインを完成させ、ベントは待機状態となっていました。ところが、14日11時01分に隣の3号機が水素爆発を起こした結果、せっかく準備していたベント弁が閉まってしまいました(ベント弁とは、格納容器の上部D/Wと下部S/Cを繋いでいる8本の太いパイプに付いている弁です)。

 

 その後、再びベント弁の開操作を試みますが、操作に必要なエアの容量が足りなかったことなどから、結局、その後もベントは行われることはなかったようです。

 

 また、SR弁の開操作にも手間取り、海水の注入は順調には進まず、炉心損傷は進行しました。その結果、格納容器は外部へ圧力を放出する手段を失い、D/W圧力は0.7MPaを超える危険ゾーンに達しました。そして、格納容器の爆発的破壊という最悪の事態も予想された緊張状態の中、15日6時10分頃3度目の爆発音が聞こえた。「終わった」と感じた関係者も多かったようです。

 

 しかし、実際には、その爆発音は隣の4号機の水素爆発によるものでした、対策本部は7時過ぎに、最低限必要な50人を除いた650人を福島第二原子力発電所に一時退避させました。その後、同日11時過ぎには、D/W圧力は、格納容器の大きな損傷のために急速に低下し、発電所対策本部は状況を見ながら一時退避を解除していきました。

 

 結局、2号機では、格納容器の大きな損傷が原因で、15日から16日にかけて、本事故中最大の放射性物質の漏洩が起こったと見られています。RCICが健全な13日頃までに、原子炉の減圧やベントを実施し消防車による注水を行えていれば、2号機は炉心損傷の事態を免れたと思います。

 

 本来なら、唯一安全に冷温停止に持って行ける可能性が高かったのが2号機でした(3号機もそうかもしれません)。しかし、1号機の水素爆発と3号機の水素爆発によってその作業は妨げられ、爆発もしていないのに逆に最も放射性物質を漏洩させてしまいます。

 

もう少し詳しく用語解説

 

D/W : Dry We‖ (ドライウエル)

 フラスコ型の容器。S/Cと合わせて格納容器を構成しています。

 両者は、ベント管と呼ばれる8本の大い管で連通しています。D/WからS/Cヘ気体が抜ける場合には、S/C内の水を通して入るようになっています。ドライウェルという名称はS/Cと違い、水が入っていないことによります。

 

S/C : Suppression Chamber(サプレッションチヤンバー)

 D/Wとベント管でつながっている格納容器下部のドーナツ型の容器。1号機で1,750トン、2~ 4号機で2,980トンという大量の水を蓄えています。配管破断などの事故時やSR弁が開いて高温の蒸気が入ってきたとき、蒸気はこの水で冷やされ液体の水に戻り、格納容器全体の圧力上昇が抑えられます。このため、圧力抑制室とも呼ばれています。RCICやHPCIなどの非常用冷却装置の水源としても機能します。ほかに、ウェットウェルやトーラスなどいろいろな名称で呼ばれています。S/Cからのベントは、「ウェットウェルベント」と呼ばれることが多いようです。

 

ベント弁

 過酷事故が起こり、格納容器の圧力が高まった非常時に、格納容器内から蒸気を外部に放出するためのベント操作のために開ける弁です。2種類の弁を2つとも開けないとベントは実施できません。