takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

福島原発事故-13

 それでは、今日から4回に分けて1号機から4号機まで地震発生から数日間の状況を大まかにご説明します。

 

 地震発生後、1号機ではIC(lC : lsolation Condenser-非常用復水器)が自動起動し、スクラム後の炉心の冷却は順調に行われていたのですが、津波による浸水で直流・交流とも全電源を喪失しました。そのため、フェールセーフ機能で自動的にバルブが閉まり、ICの機能がほとんど失われました、しかもそのことにほとんど誰も気が付かなかったのです。そのためその後、半日以上の間、原子炉への注水がほぼゼロという状態が続きました。ですから、地震から3時間程度の11日の夕方から炉心が露出し始め、当日の深夜には大きな炉心損傷に至っていた可能性が高いと言われています。

 

 日付の変わる頃、突然、D/W(DW : Dry Well-ドライウェルと呼ばれるフラスコ型をした格納容器の上の部分)圧力が異常に高いことが判明し、対策本部はそこで初めて事態の深刻さを認識したようです。しかし、IC(lC : lsolation Condenser-非常用復水器)は自動停止してバルブが閉まっています。再起動させるためには、電気が必要なのです。それにに代わる冷却手段を用いるためには、弁を開いて圧力容器内の圧力を低減し、ベントや消防車による注水が不可欠でしたが、それらの事態は想定外のことでした。そのため、事前の教育や訓練はまったく行われておらず、作業に大幅に手間取り、炉心損傷および圧力容器や格納容器からの漏洩がさらに進行してしまったのです。その後、12日未明にはようやく淡水注入が始まったのですが、注水量は不十分なものであり、さらに炉心損傷が進行しました。そして、原子炉建屋内に蓄積した水素が、12日15時36分に爆発しました。その後は、海水注入が継続的に行われるようになったのですが、14日には19時間以上の中断もありました。それらのことから、14日頃でも圧力容器や格納容器からの放射能の漏洩が続いた可能性が高いのです。

 

 原子炉建屋には、窓がほとんどありませんから停電となれば真っ暗です。放射能防護服を着て懐中電灯の光だけの作業は効率が悪くなかなか進みません。防護服を着ると隣の人と会話することさえ難しいのです。また、配管を開け閉めするバルブは、本来電動ですから大人一人の力では動きません。そのため、バルブを開閉することさえ困難な状況でした。これは、日頃から訓練を行っていなければ上手くできないでしょう。また、圧力容器内の圧力は、およそ70気圧です。それに比べて消防のポンプ車は10気圧の力しかありません。70気圧に対して10気圧で押しても水は入りません。なすすべがないまま、24時間で建屋が吹き飛んでしまいました。