takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

41年前の千日デパートビル火災、最上階のキャバレー客が犠牲に

1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区にあった千日デパートで火災が発生した。

被害者は、死者118名・重軽傷者78名、日本のビル火災史上最悪の大惨事となった。また、千日デパートと言っても、実際には百貨店ではないため、防災協会などの公式記録には、「千日デパート火災」ではなく「千日デパートビル火災」と残されていることもある。

千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に開業した商業ビルで、専門店街や劇場などが入居していた。経営者は千土地興業(1963年に日本ドリーム観光と改称)。『まいにちせんにち、千日デパート』のコマーシャルソングで知られ、また屋上に1960年(昭和35年)から設置された観覧車は大阪名物となっていた。

 

経過

119番通報は、出火13分後の午後10時40分、千日デパートの保安係からである。消防の先着隊が到着したのは午後10時43分。このとき、3・4階の北側の窓2ヶ所くらいから黒煙が盛んに噴出し、北側5・6・7階の窓からは若干薄い白煙が漂っている状況であったという。その後、続々とポンプ車やレスキュー車など、各種の消防車両が到着し、合計85台、出場人員は596名となった。

火災鎮圧は5月14日午前5時43分、鎮火時刻は5月15日午後5時30分、2・3・4階がほぼ燃え、焼損面積は8763平方メートル、死者118名、負傷者81名(うち、消防職員27名)という、最悪のビル火災となった。

 

原因

出火の原因は、3階ニチイの電気工事関係者が捨てたタバコ(あるいはマッチ)ではないかと推定された。

火災の発見者も工事関係者であり、「幅約40cm、高さ約70cmの赤黒い炎」を視認している。知らせを受けた工事監督は火災報知器のボタンを押し、保安室にいた保安係員によって確認されている(午後10時43分頃)。その後、工事関係者は、保安係に使い方を教えられて消火器を使用し、保安係は1階の屋内消火栓で放水しているが、濃煙が充満しほとんど効果がなかった。火災拡大の原因は、衣料品などの大量の可燃物によると考えられている。

死者は全て7階プレイタウンにいた人達であり、死因は一酸化炭素中毒によるものが93名、胸腹部圧迫によるものが3名、飛び降りによるものが22名となっている。

対処消防先着隊が到着したとき(午後10時43分)、閉じられた正面シャッターを保安係が開放し、2階へホースを延長し放水する(午後10時46分放水開始)この時点で、2階も既に燃え、3階への進入は不可能な状況であったと報告されている。

出火から消防先着隊到着までのおよそ16分の時間に、火災は2階から4階へと拡大し、煙は7階へと拡散している。フラッシュオーバー(火災による熱と可燃性ガスが充満し ドアを開けた際などに部屋全体が一気に燃え出す現象)までは17分程度と推定された。

 

対策

旅館・ホテルの消防用設備の遅れに対しての危機感が、火災被害の頻発した昭和40年代に高まっていた。不特定多数を扱う業態として、旅館、ホテルなど宿泊施設に次いで劇場、物販店舗、医療施設などに関する消防用設備の強化がなされなければ消防の現場活動のみ督励しても被害の軽減にならないことは自明のことであった。建築方法や建築材料が日進月歩し、消防設備の技術が進歩するにつれ、建築基準法や消防法の改正は行われたが、既存の「実質的に危険な要素を保有している」建物には規制は及ばなかった。たとえば、本件デパート火災では出火階にスプリンクラー設備は無かった。

既存不適格という指導方針で進めてきたことにも問題がある。そして、法が警鐘をならしても、その安全策を自らの対象物に採用しようというものは少なかった。

千日ビル、そしてこれに続いた熊本大洋デパートの大火災の再発防止のために、昭和52年4月、遡及適用という大改正により実施されることとなった。

 

//// ここまでは、失敗知識データベースから省略・加筆して転載した。

 

夜の火災だったこともあり、テレビで見て覚えているのは、次の年(1973年)に発生した大洋デパートの火災である。実は、長らく自分の頭の中では千日デパート火災の方を「あの時の映像」と記憶していた。偽りの記憶の典型である。

 ところで、70リットルの透明なゴミ袋を折りたたんで鞄に入れておくと煙に巻かれず避難階段を逃げることができる。半透明な袋では足下が見えないから使えないが、透明な袋なら煙が来ないうちに頭から被って3~4分は呼吸ができる。上記の火災であれば、7階から地上まで階段を降りるには十分な時間である。火災事故による死亡原因の殆どは、一酸化炭素などの有毒ガスによるものだから、ゴミ袋を1枚鞄に入れておくだけで助かる確率は随分高くなる。私は、2枚を何時も鞄に入れて持ち歩いている。お金も掛からないし、邪魔になるものでもない不特定多数の人が出入りする場所へ頻繁に行く方にはお薦めできる。

それにしても、千日デパート火災、大洋デパート火災と二年で二件の大災害が発生し、200名以上が犠牲者となった。これほどの犠牲者が出ないと、遡及適応できないものなのだろうか。データで実証され、科学技術の視点から見て間違いないと分かっても既存不適格という指導方針(建築当時の法律に適合していれば、後の法改正で危険と見なされてもその箇所の危険な点を改善する法的強制力は無い)では、事故を減らすことは難しい。昭和52年4月の遡及適用という大改正は英断だったと思う。