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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

世界でも指折りの爆発規模・ペプコンの工場爆発

1988年(昭和63年)5月4日、アメリカ合衆国ネバダ州ヘンダーソン市のThe Pacific Engineering Production Company of Nevada (PEPCON / ペプコン)の工場で大規模な爆発事故が発生した。化学火災とその後に続いた爆発により、死者2人、負傷者約372人、金額にして1億ドルの被害が発生したとみられている。16km離れたラスベガス市街地の大部分が影響を受け、いくつかの機関が災害対策計画を立ち上げた。

 

ペプコンの工場は、過塩素酸アンモニウムを生産する施設だった。これを生産する工場は、アメリカにも2つしかない。そのため、ペプコンの工場は生産量、保存量とも大きなものであった。過塩素酸アンモニウムは、スペースシャトルのSRBや兵器などの固体燃料ロケットブースターの酸化剤のひとつである。もう一つの業者であるケール・マクギー社は、ペプコンの施設から2.4km弱離れた、爆風の被害を受けた範囲に位置していた。また、この工場直下には、直径16インチ(約41センチ)の高圧天然ガスのパイプラインが通っていた。

1986年(昭和61年)1月28日のチャレンジャー号の事故後も、アメリカ政府は事故前と同じペースで過塩素酸アンモニウムを生産する契約をペプコンと継続していた。スペースシャトル計画が凍結されると、政府からの製品の出荷先の指示がなくなり、このような大量の製品の管理手順の指示も保管に最適な施設もないまま、ペプコンは生産された過塩素酸アンモニウムのほとんどすべてをプラスチック製のドラム缶に詰めた状態で構内の駐車場に保管した。推定では、爆発事故の時点で3900トンの最終生産品が施設内に保管されていたらしい。

 

火災発生

合衆国消防庁の報告によれば、火災はペプコン工場内の乾燥工程施設の周辺で当日11時30分から11時40分の間に発生した。事故当時、暴風のために鉄骨・ガラス繊維でできた壁・天井が壊れており、溶接トーチを用いた修理が従業員により行われていた。炎は、ガラス繊維の部材を瞬く間に覆い、現場に残されていた過塩素酸アンモニウムによってさらに勢いを増した。従業員達がホースで消火活動をする間にも、炎は隣の建物に保管されていた過塩素酸アンモニウム製品の入った200リットルのポリエステル製ドラム缶にまで広がった。

従業員達の必死の消火活動が失敗し200リットルドラム缶が爆発し始めると、彼らは消火活動を放棄した。出火から最初の爆発までにかかった時間は、正確には分かっていないが、10分から20分と考えられている。消火活動が放棄された際に工場のほとんどの従業員は車か駆け足で現場から避難した。後に続いて発生した大爆発で死亡した2人を残し、約75人が逃げ切った。犠牲者の内の1人はクラーク郡の消防署に通報するために現場に残った工場長で、もう1人は車いすを利用し避難が不可能な者であった。

 

ペプコンの爆発

一連の爆発は、最初の爆発がドラム缶の保管区域で発生し、その保管区域では4回の爆発により巨大な火球が発生した。その後も火災は広がり続け、つぎに満タンのアルミ製輸送コンテナの保管区域にまで達した。そこで2回の小さな爆発を引き起こし、さらに最初の爆発から約4分後、巨大な爆発を引き起こした。爆発のいずれかによって工場直下の高圧天然ガスのパイプラインが破裂して生じた火柱を除き、その巨大な爆発の後には燃料はほとんど残っておらず急速に鎮火に向かった。ガス会社は12時59分に約1マイル(1.6km)離れたパイプラインのバルブを閉め火災への燃料供給を遮断した。

全部で、ポリエステル製ドラム缶とアルミ製コンテナの2回の大爆発とともに、7回の爆発がさまざまな過塩素酸アンモニウムの容器を含めて生じた。これらの2回の大爆発は、それぞれマグニチュードで3.0と3.5の振動がコロラド州の国立地震情報センターによって観測された。3600トン以上の製品が火災と爆発で燃え、その保管区域には、深さ4.5m、直径60mと見られるクレーターが形成された。

 

//// ここまでは、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。

 

日本国内では、これほど大規模な爆発事故は発生していない。まして近年では爆発事故そのものも少なくなっている。各規制、管理手法、安全装置が改良・改善されてきたからであると思う。

また、可燃物の塊である石油コンビナートであっても、3・11の時のように巨大な石油タンクが燃えるだけであって、爆発には至らない、酸素が無いからである。そのため、日本国内での大きな爆発事故は、直近50年で見ても以下の2件である(どちらも空気と混じりやすいガスが原因)。

1970年(昭和45年)4月8日に発生した「天六ガス爆発事故」

日本の大阪市北区菅栄町(現・天神橋六丁目、通称天六)で、1970年4月8日に発生した都市ガス爆発事故。地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅工事現場で発生した。死者79名、重軽傷者420名の大惨事となった。

1980年(昭和55年)8月16日に発生した「静岡駅前地下街爆発事故」

静岡駅表口の地下街で発生したメタンガスと都市ガスの2度のガス爆発事故。死者15名が、重軽傷者223名。

 

アメリカや旧ソ連の事故は、日本と比べて規模が大きい。作る量も保存する量も日本とは比較にならないほど大きいからだろう。まあ、大量に保存するなら、それなりに管理もしっかりすれば良いと思うがお国柄の違いなのだと思う。

話は変るが、ペプコン大爆発の原因となった物質は、過塩素酸アンモニウム(NH4ClO4)であり、日本では第一類の危険物に指定されている。150度を超えると、分解が始まり酸素を発生し、400度を超えると急激に分解する。分解時、多量のガスを発生するので過塩素酸塩類の中で最も危険性が高いと言われている。そのため、消火にあたっては、大量の水で一気に冷却し分解温度以下にすることが最善となっている。もっとも、ペプコンの場合は、それも間に合わなかったようだ。

過塩素酸アンモニウム自身は、燃焼しないが可燃物を激しく燃焼させるためロケット燃料の酸素供給剤として使用されている。たとえば、合成ゴム、金属粉などを混錬して成形したコンポジット推進薬(APCP)はロケットエンジンの推進剤に使用されている。コンポジット推進薬を用いた固体燃料ロケットのブースターは、日本のH-Ⅱロケットで用いられている。言い換えると、役に立つから大量に製造されているとも言える。しかし、危険性は高のだから、管理は厳重にということである。