takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

ハラールとハラーム-6・守りたいもの

 仕事の関係で更新が滞っています。正直「一体どうなってんだ!」と言いたいところですが、言ったところでどうにもなりません。「納期は何時になりますか?」と質問されるだけです。

 iPS細胞とイスラム教のことは、時間がある時に書くことにします。今日は、我々日本人から見ると一見不便で面倒なことを彼等ムスリムはどうして行うのか考えてみます。

 イスラム教に限らずキリスト教でもユダヤ教でも1神教の宗教の戒律は厳しいものです。多神教で捨てる神も拾う神もいる日本とは全くことなります。イスラム教はその中でも特に厳しいかもしれませんが、それは後述します。

 日本人は、そんな彼等に「なんで、豚を食べたらだめなんだろう?、トンカツ美味しいのに、可哀想」と考えるようです。しかし、彼等から見れば日本人の方が可哀想に見えるはずです。「あんな、生き方をしていたら死んだら神の国へ行けない、地獄の業火で焼かれるかもしれない」と思っているかも知れません。ムスリムにとって宗教上の戒律は、「守らされるている」ものではなく、積極的に「守りたいもの」なのです。ですから、ハラール認証が表示された食物を安心して食べたいのです。

 自分の信じるものを大切にしたいと思う気持ちは、どの宗教にでも必ずあります。あるいは、宗教を越えてあると思います。私は、無宗教に近い人間ですが、いくつかある自分のルールは守ります。そこに不便を感じることはありません。ですから、ムスリムも同じであろうと思います。東京オリンピックの時は、世界に16億人いると言われているムスリムも大勢日本へ来ると思います。その時、彼等に対して「可哀想」とか「不便だろうな」なんて考えないで下さい。それは、とても失礼ですし、大きな思い上がりです。

 前述したように、他の宗教に比べてもイスラム教は、戒律に対して厳格なところはあります。私は、それはイスラム教が若いからだと思っています。ムハンマド イブン=アブドゥッラーフ(イスラム教の開祖、日本ではマホメットが一般的)は、紀元570年~632年の人ですから、イスラム教キリスト教よりも約600年若いのです。600年前のキリスト教は、魔女裁判を行っていました。日本でさえも600年前なら、今より遙かに神や仏の存在を信じていたでしょう。600年後のイスラム諸国がどうなっているのか見てみたい気持ちでいっぱいなのですが、それは無理な話です。しかし、世俗化が進んでいるトルコを見ていると何となく予想はできます。やはり、人間も、宗教も年を経て老齢になると皺が増えていろいろな所が緩んでくるのです。

 暫くの間、不定期更新になります。