アトミック パワー・解き放たれた力-11
前回は、パキスタン、「核兵器開発の父」アブドル カデイル カーン博士のことを少し書きました。彼は、日本を度々訪れ核兵器開発に必要な部品や装置を購入しています。例えば、共同通信のインタビューには「1984年に日本を訪れ、いくつか重要な部品を注文した」と答えています。また、別のインタビューでは1977年の訪日時に、過去に米国や欧州の企業から販売を断られた「無停電電源装置(UPS)」を日本企業から調達したことも話しています。このUPSは、当時の日本が誇った電気技術の結晶のような製品で、停電時には8メガワットの出力がありました。つまり、切れ目なく一定の電力が必要なウラン濃縮施設には絶対に欲しい設備だったのです。
博士はこの企業から、原子力施設で稼働中のUPSの見学にも誘われたと指摘し「(企業側はパキスタンが)核開発に使うことに気付いていたと思う」と述べています。
日本は、武器輸出を禁じています。しかし、鎖国中の江戸時代にも長崎の出島で海外と取引があったように、武器本体は禁止でも武器に使える部品や武器を作るために必要な機械・装置は敵対国でなければ輸出できるのです。早い話が、戦車は輸出できませんが、戦車にしか使用できない戦車用のエンジンは輸出できます。
話をカーン博士にもどします。博士の話によると、ウラン濃縮に使用する遠心分離機や核開発の研究に必要な電子顕微鏡なども日本から購入しており、日本は非常に重要な輸入元だった」と強調しています。繰り返しますが、その時蓄積された技術が北朝鮮に伝わり北朝鮮の核開発を早めることができたのです。間接的ですが、北朝鮮の核開発を手助けしたのは日本です、なんて馬鹿な話でしょう。
さて、そのパキスタンは、1998年5月28日と5月30日に総出力40キロトンの核実験を行いました。これは、インドが同じ98年の5月11日と13日の計5回行ったシャクティ核実験に対抗したもののようです。この実験には水爆も含まれたようですが、出力は12キロトン、つまりTNT火薬にして12,000トンのエネルギーです。戦争の道具ですから仕方がなのでしょうが、実に無駄な消費です。
オッペンハイマーとテラーのことも書くつもりだったのですが、明日からは、原子力発電の話に移ります。人物に関してはまた、別の機会を見つけます。