takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・解き放たれた力‐3

 後に原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーは、1936年33歳の若さでバークレーにやって来ました。彼は、新聞も読まずラジオも聴かないという生活を送りながら(当時まだテレビは一般的ではありません)、物理の研究に没頭していたようです。1929年にアメリカを揺るがせた大恐慌も長い間知らなかったと言いますから筋金入りです。

 しかし、判断力に優れ、分析力も並はずれ言葉遣いの美しいオッペンハイマーの周りには、生来の人望もあって優れた若い科学者たちが大勢集まるようになります。後年、ロスアラモス研究所の所長となりますが、人集めには全く苦労は無かったそうです。

 ここで、いきなりオッペンハイマー原子爆弾開発話に入る前に時代を少し戻してみましょう。

 黎明期のところで少し説明しましたが、例えばイギリスの大物理学者ラザフォード卿は、原子力エネルギーの利用に関して「原子力の利用など戯言です、人間の戯言に過ぎません」と話しています。また、アインシュタインも、「原子力のエネルギーは、実用的ではありません。真っ暗闇の中で鴨狩をして捕まえられずに大砲を打つようなものです」とよく意味の分からない発言をしています。ニールス ボーアは流石に分かりやすく説明しています、彼はこう語ります「我々の核反応についての理解が深まるにつれて、核エネルギーの現実的な利用は遠くなっていくようです」。

 言い換えると、20世紀初頭の大物理学者達は揃って、原子力の有効な利用を否定していたのです。彼らのような頭脳の持ち主にでさえ、その連鎖反応から生まれてくるエネルギーを制御しながら使うことは途轍もなく大きな課題だったのでしょう。1939年初頭の時点では、原子力エネルギーを大量に放出する核連鎖反応については誰も知らなかったのです。

 もっとも、これも紹介しましたが、ほんの少し後のレオ シラードやエンリコ フェルミは、核エネルギーの危険性に気づき、安全性を十分に確認してから研究を進めるべきだと語っています。やはり、最初のアイディアは爆弾として使うことだったのでしょう。制御せずに一気に放出させればよいのですから私が当時の物理学者であったとしてもそう考えます。