takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・解き放たれた力-2

 当初、放射性物質から取り出すことができる大きなエネルギーは、凄まじい破壊力を持った爆弾として利用されました。平和利用なんて誰も考えないのです。

 これから、10回ぐらいで核エネルギーを利用した2種類の爆弾とそれを作り上げた2人の父親(母親?)について簡単にご説明します。

 爆弾を生み出したのなら母親と言っても良いのでしょうが、2人とも男性物理学者です、そのため爆弾の父と呼ばれているようです。

 その内の1人、ジュリアス ロバート オッペンハイマー(1904年4月22日~1967年2月18日)は、ユダヤ系アメリカ人の理論物理学者です。理論物理学の広範な領域にわたって国際的な業績をあげた科学者ですが、彼を名を歴史的ものとしたのは、第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所で勧められたマンハッタン計画原子爆弾の開発計画)の主導でしょう。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトを効率的で正確に進め見事な成果を挙げました、そのために「原爆の父」として知られることになります。

 しかし、後述しますがオッペンハイマーは、古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節を引用し、「我は死神なり、世界の破壊者なり」と語ったヴィシュヌ神の化身クリシュナを自分自身に重ね、核兵器開発を主導した事を後悔しています。

 もう1人の父親は、エドワード テラー(1908年1月15日~2003年9月9日)は、ハンガリー生まれでアメリカに亡命した同じユダヤ人理論物理学者です。原子爆弾の後に開発された水素爆弾(熱核爆弾)の開発指導者であり、アメリカの「水爆の父」として知られています。また、ローレンス リバモア国立研究所は彼の提案によって設立された研究所です。

 スタンリー キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』には、水爆好きのマッドサイエンティスト、ストレンジラブ博士が登場しますが、そのモデルの1人と言われています。なぜなら、テラーはオッペンハイマーと異なり自らが開発した爆弾について後悔などせず、生涯肯定的な言動を行っているからです。なにしろ、水爆のことを「マイ ベイビー」と呼んでいたと言うことですから普通と異なる感覚の持ち主だったのでしょう。

 加えて、テラーはマンハッタン計画に参加し原爆の開発にも携わりましたが、1945年、世界初の原爆実験(トリニティ実験)に立ち会い、「なんだ、こんなちっぽけなものなのか」と感想を述べたとされています。そのため、テラーはもっと強力な爆弾である水爆を開発すべきだと強く主張しました。

 ここで、原子爆弾核分裂型爆弾)と水素爆弾核融合型爆弾)について簡単に触れます。

 

原子爆弾(Atomic bomb)

 ウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂反応を使用した核爆弾です。初めて実用化された核兵器でもあり、水素爆弾の起爆装置として使用されることもあります。

 アメリカが世界で最も早く開発に成功しています。その開発がマンハッタン計画で1942年から始まり1945年7月16日にニューメキシコ州のアラモゴード軍事基地の近郊の砂漠で人類最初の原爆実験(トリニティ実験)が実行されました。この原子爆弾のコードネームはガジェット(プルトニウム型爆弾)です。

 ソビエト連邦原子爆弾開発は、1943年にソビエト連邦共産党書記長であるスターリン(本名、ヨシフ ヴィッサリオノヴィチ ジュガシヴィリ)が原子力プログラムの開始を命じ、核物理学者イーゴリ クルチャトフがプロジェクトの責任者となって進められました。1949年8月29日、カザフ共和国(当時)のセミパラチンスク核実験場においてソビエト最初の核実験(プルトニウム型原爆RDS-1)に成功しています。

 その後、イギリス、フランス、中国と国連常任理事国は、1964年10月までに原子爆弾の実験に成功しています。

水素爆弾(hydrogen bomb)

 水素及びその放射性同位体核融合反応を利用した核爆弾です。核兵器の1種であり、水爆、熱核爆弾などとも言います。

 原子爆弾を起爆装置として用い、この核分裂反応で発生する放射線と超高温、超高圧を利用して、水素の同位体重水素三重水素トリチウム)の核融合反応を誘発し莫大なエネルギーを放出させるところに、通常の原子爆弾との違いがあります。現在、核融合発電はなかなか上手く行きませんが、それは核融合を誘発させるために必要な超高温と超高圧が不足しているからです。ですが、爆発させるだけなら制御の必要はありません、水素爆弾の中で原子爆弾を爆発させその熱と圧力を利用すればよいのです。核融合の場合、取り出せるエネルギーは通常の核分裂型の爆弾より10倍~1000倍多くなります。

 エドワード テラー、スタニスワフ ウラムらによって開発が進められたコードネーム「マイク」と言う水爆は、1952年11月1日、エニウェトク環礁(中部太平洋、マーシャル諸島にある環礁)で人類初の実験、アイビー作戦が実施されました。

 また、第二次世界大戦後から現在に至る核兵器開発競争に参加した国の中でも、水素爆弾を兵器として実用化したのは国際連合の常任理事国であるアメリカ合衆国と旧ソビエト連邦(ロシア)、イギリス、フランス、中華人民共和国のみです。