takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

65年前の大災害、福井大地震

1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒、福井県を中心に北陸から北近畿でマグニチュード7.1の地震が発生した。通称「福井大地震」と呼ばれるこの地震は、戦後復興間もない福井市を直撃した都市直下型地震である。

 

福井県での死者数は3,728名、石川県が41名。これは、兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)が発生するまで戦後最大であり、大正関東地震(関東大震災)、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)などと並ぶ、日本の災害史上最悪クラスの震災である。

現在(2013年)時点で見ても東日本大震災阪神・淡路大震災に次ぐ戦後3番目の規模の震災となっている(逆に65年経つとこれだけ忘れられてしまう)。

また、死者のほとんどが、当時人口20万余りにすぎなかった福井市・坂井郡(現坂井市)に集中している。これは、九頭竜川の堆積物により福井平野の地盤が弱いことと、福井市中心部では人口が密集しており、戦後復興期で建物はバラックが多く、不安定な構造だったためにかなりの建物が倒壊していることが原因である。

 

被害の特徴

福井平野では、全壊率が60%を超えるなど被害は甚大だった。震源地直近の丸岡城丸岡町)も倒壊した。大和百貨店福井店も1階が潰れて全壊する被害を受け、福井地震の象徴として有名になったが、一方で隣接していた福井銀行は全く被害を受けなかった。地中の基礎となる鉄骨の差が、両者の被害に対照的な違いを生んだとも言える。福井銀行は地下10mまで90cm間隔で500本の杭をびっしりと打ってあった。頭取が元技術者であり強固に建てさせていたという。

発生時刻が16時過ぎ(サマータイムでは17時過ぎ)で夕食の支度をしている家庭が多かったため、福井市中心部では、24件の火災が発生した。地震のため、道路が通行不能となったり、水道が破損したことにより、消火に時間を要したため被害が拡大した。福井市中心部では映画館が倒壊、炎上し、会社帰りの観客などが数百人規模で圧死・焼死した。農業地区でもほぼ全ての家屋が倒壊したものの、住民が屋外で農作業をしていたためか死者は少なかった。

 

//// ここまでは、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。

 

この地震に関しては、以下のサイトで充実した資料が公開されている。

 

福井地震断層の研究 平成元年度福井工業高等専門学校教育後援会研究奨励金による研究完了報告書

福井地震 日外アソシエーツ株式会社

福井地震

デジタルアーカイブ:福井地震福井地震 - 福井市立郷土歴史博物館

 

会社帰りに飲んでいるところで、都市部直下型の大地震が発生し、建物が崩壊したら逃げようがない。2013年現在の建物は、マグニチュード7.1ぐらいの地震では崩壊しないかもしれないが、古い建物だと分らない。歴史的な建物を改装して使用している場合は注意すべきだと思う。特別古い建物ではなくても、阪神淡路大震災以降、建築基準は見直されている。1995年以前に建設された建物は、現在の基準では、合格しない建物なのだ。

一方、1948年(昭和23年)頃は、連合国の支配下にありサマータイムが実施されていたことも忘れられている。小泉政権の時にもサマータイム実施の法案が検討されていたはずだ。しかし、省エネ効果を求めてサマータイムを実施するのは全く無駄である。アメリカやEU諸国では、サマータイムを実施している国が少なからずあるが省エネ効果があると認めている国は皆無である。

北海道では、現在もサマータイムの変形版である「時間差勤務」を実施している企業もあるらしいが、省エネ効果が出ているという話は無い。時間差勤務とは、時計そのものの時間は変更しないで、始業時間を1~2時間早くするというものである。これで、省エネ効果があるはずはない。