takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

技術者倫理・チャレンジャー号の爆発事故とシティコープタワーの倒壊回避-2

 シテイコープ・タワーは、1977年にニューヨーク・マンハッタンの中心部に建設された59階建ての高層ビルです。池袋のサンシャイン60(1978年完成)は60階建てですがから、ほぼ同じ大きさの建物と考えて下さい。このビルは、完成後にビルの構造設計を担当したウィリアム ルメジャー氏によって、倒壊する可能性が認識されました。しかし、ルメジャーの優れた倫理的判断と関係者の協力によりビルの危機を見事に回避した優良事例です。

 

 シテイコープタワーには特別な設計制約がありました。ビルが建っている土地の一部は、ある教会が所有していました。シテイコープは、教会の古い建物を取り払い、ビルから独立した建築物として全く同じ場所に教会を新しく建て替えることを条件に、この区画の空中権を獲得したのです。したがって,ピルの下に教会用のスペースを確保する必要があり、 9階部分までを太い柱で持ち上げる必要がありました。しかも,教会は土地の中心ではなく隅にあったため、柱を建物の四隅にではなく壁面の中央に据える必要があったのです。これは構造工学上、やっかいな問題でした。

 

 この設計上の問題を解決するために、シテイコープ タワーの構造設計者として白羽の矢のたったのがルメジャー氏です。彼は、すでに高層ビルの構造設計で幅広い経験を積んでおり、その革新的な設計によって全米でも第一級の構造エンジニアとして名が通っている人物でした。ビルの特異な条件を満足させるために、ルメジャー氏は鉄筋の構造に斜めの筋交いを入れること、及び、揺れを押さえるための質量同調ダンパーという装置を最上階に設置するという独創的なアイデアをもって構造設計を行います。

 

 シテイコープの仕事が終わった翌年の1978年5月、別の建物を担当していたルメジャー氏は、その設計にも筋交い法を取り入れてみようと考えます。しかし、ルメジャー氏が筋交いについて建設請負予定の業者に伝えたところ「ルメジャー氏の考えている筋交いの接合法は貫通溶接であるが、貫通溶接では時間もコストもかかりすぎる。貫通溶接ではなくボルト接合にしたい」と言われます。そこで、ルメジャー氏はシテイコープ タワーの建設ではどのような議論があったのかを知りたくなり、改めて当時の建設業者に問い合わせます。すると、シテイコープ タワーの建設においても ルメジャー氏の指示通りの貫通溶接は行われておらず、ボルト接合に変更されていたことが分かりました(この連絡なしの変更自体は、合法です問題ありません)。

 

 翌月の1978年6月、ルメジャー氏は、工学部に在籍する一人の学生から電話でビルの支柱に関する質問を受けます。その質問は建物も耐風力に関するものでした。当時のニューヨークの建築条例では、風は垂直方向からの影響のみを考慮すればよいという規制にとどまっていたために、ルメジャー氏は、シテイコープ タワーの斜め方向の風に対して正確な計算をしたことはなかったのです。

 

 ところが、斜め方向の風を計算したルメジャー氏は愕然とします。斜め方向からの風により、主要な構造部材には想定されていたよりも40%以上大きい応力が働き、接合部では応力が160%も増加するという計算結果でした。急いで、建物の設計段階でコンサルタントをしていたウエスタン オンタリオ大学のアラン ダベンポート(著名な構造力学の研究家)から、風洞試験のデータを入手しボルト接合への変更なども反映した「実際に建設されたシテイコープ・タワー」について検討します。

 

 その結果、接合部が現状のボルト接合のままだと、16年に1度ニューヨークを襲うハリケーン程度の風力で,建物が倒壊する可能性があることがわかったのです。1978年7月末の出来事でした。

 

 もし、マンハッタンの中心部分で59階建ての建物が倒壊したら、その被害は甚大です。サンシャイン60が倒壊したらと置き換えて見て下さい。倒壊の可能性に気づいたときルメジャー氏は何を考えたのでしょうか。自分がこれまでに築き上げた名声や財産と人びとの命、自分が支払わなければならなくなる賠償金など、いったいどのような価値を考慮し、バランスを取ろうとしたのでしょうか。

 

 ルメジャーは、建物の危機に気づいたとき、この危機を知っているのは地球上で自分だけだということを強く認識したと語っています。科学技術の世界では、このような状況がしばしば生まれる。技術者としてもっている専門知識と能力によって、自分だけが他の誰も知らない新しい事実や可能性を知ることがあります。そのとき、いかに行動するか。そのときの技術者の行動次第で、その後の結果や社会や環境に与える影響が大きく変わることを認識しなければなりません。

 

 ルメジャー氏は、自分がそれまで築き上げた名声が地に落ち,賠償などのために経済的に膨大な損失となる可能性も顧みず、とにかくいかにして自分が設計したビルの危機を回避するかを考えました。解決策、つまり自らがなすべき「行動を設計」したのです。

 

以下、迅速な行動結果です。

 

7月31日

シテイコープ・タワーの構造コンサルタント、自分を雇った建築会社の顧問弁護士、保険会社に連絡し協力を仰ぎます。

8月1日

保険会社の弁護士数人と会議。構造エンジニア,ロパートソン(第3者の立場にある設計家)を特別顧問に雇うことを決定。

8月1日

ルメジャーの共同経営者がシテイコープの副社長リードに面会の約束を取りつける。リードに状況を説明。

8月2日

リードの仲介により、シテイコープの最高責任者リストンに面会。

修理の提案に対し、リストンは協力を即決し、ビルのテナントはもちろん各関係方面との連絡を自ら取り仕切ることとしました。

8月3日

補強工事を請け負う会社のエンジニアと相談し、現状と工事計画について同意しました。

 

 この迅速な行動の結果、10月には補強工事も終わり、シティコープ タワーは、700年に一度の超大型ハリケーンでも倒壊しない建物に生まれ変わりました。大急ぎの短縮した解説で分かりにくいかも知れませんが、最低限の状況はお分かり頂けたかと思います。さて、チャレンジャー号事故のボイジョリー氏とルメジャー氏の違いはどこにあったのでしょう。ここから、比較に入ります。