takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

東北地方太平洋沖地震

初めに、亡くなられた多くの方のご冥福を心よりお祈り致します。

また、現在も避難生活を強いられている方々が、一日も早く元の生活に戻る事ができるよう日本技術士会と共に私も努力致します。

2011年(平成23年)3月11日(金)は、東北地方太平洋沖地震が発生した日である。マスコミ報道では、「東日本大震災」と言われているが、これは、地震に伴って発生した津波、及びその後の余震により引き起こされた大規模地震災害の総称である。原因となった地震そのものの名称は「東北地方太平洋沖地震」である。

2年前の3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、日本周辺における観測史上最大の地震である。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmのおよそ10万平方キロメートルという広範囲に及んだ。また、宮城・栃木・福島・茨城の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強を観測した。まさに、未曾有の大地震だった。私は、この時、埼玉県大里郡にある自社工場にいた。調べていないが、震度は4だったと思う。しかし、平屋の建物であり工場ゆえに基礎はしっかりしている。当然かもしれないが、「割と大きな地震だな」と思った程度であり、東北地方があれほど酷い事態になっているとは思わなかった。また、仕事中だったしから特にテレビも見ていない。地震と津波の被害に関しては、夜、家に帰ってから知った。その後、福島原子力発電所の事故が大きく取り糺される中、2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震で創業以来初めて脱線した新幹線が、今回は一つの事故も発生していないことに感心した。

その後の被害に関しては、これ以上は書かない。まだ被害者数ですら確定していないし、被害記事ならネット上にあふれている。しかし、公的機関の拙い対応として一つだけ書いておきたいことがある。

 

///// 以下は、東京新聞の記事から転載。(2012年(平成24年)3月21日東京新聞記事。

 

1年たってわかったこと。

東京電力福島第一原発の事故で、福島県が昨年3月11日の事故当夜から放射性物質拡散の予測データをメールで入手しながら、15日朝までの分をなくしていたことが県への取材で分かった。この間に1、3、4号機で相次いで爆発が起きたが、県は原発周辺の自治体にデータを示していない。県の担当者は「(データの)容量が大きすぎて、消してしまった」と話している。

国の現地対策拠点となったオフサイトセンター(OFC、福島県大熊町)と福島県にも送る予定だったが、震災で回線が壊れたため送れなかった。だが、メールの回線ならば送れることが分かり、11日深夜、OFCに隣接する県原子力センターからの送信依頼を受け、予測データの画像を県側にメールで送信。12日深夜には県庁の災害対策本部にも同様に送り始め、一時間ごとに結果を更新し続けた。ところが、県の担当者によると、15日朝までメールの着信に気づかず、それまでに届いていたメールは消してしまったという。

県は「予測は役に立たない」として、その後も送られたデータを公表せず、市町村にも知らせなかった。これらとは別に、県は13日午前10時半ごろ、保安院からもファクスで拡散予測を受け取っていた。こちらも12~13日早朝までのデータだったため、「既に過去のもので、正確ではない」として公表しなかった。

 

///// ここまで。

 

故意に削除した訳ではないと思いたい。また、悪気があった訳でもないだろう。その時は、一番良い対応のつもりだったと思う。しかし、今、考えると大変拙い対応だったし、データの削除は最悪だった。「既に過去のもので、正確ではない」で済むならどんなデータも「過去のもの」である。災害の被災者を安心させたいなら、データは公表した方が良い。それも、正確を期して専門用語で話すのではなく、放射線科学を知らない人でも理解できる言葉で説明することが必要である。