新燃岳の噴火
2011年(平成23年)1月27日、九州鹿児島県にある霧島連山の一つ新燃岳で爆発的噴火が発生した。火山灰は新燃岳の東側にあたる都城盆地、宮崎平野南部、鰐塚山地などに広がり、遠隔地の日南市にまで降灰が及んだ。このため火口に近い高原町、都城市および霧島市を中心として多くの被害が発生している。特に1月26日夜から1月29日にかけては継続的に降灰があり、交通機関においては鉄道の運転見合わせ、高速道路の通行止、空港の一時閉鎖などがあった。
新燃岳は霧島火山群の中でも新しい部類である新期霧島火山に属し、その山体は2万5000年前から1万5000年前の間に形成されている。火山活動は数千年間にわたって休止していたが江戸時代に再開した。
大きなものでは、「享保の噴火」、1716年3月11日(正徳6年2月18日)、大音響とともに水蒸気爆発が発生し、黒煙が高さ3,000mに達した。新燃岳東方を流れる高崎川では泥流が発生している。一連の噴火活動は断続的に約1年半続き、総噴出量は1億m3とされる。
「明和の噴火」、1771年(明和8年)から翌年にかけて噴火活動があった。水蒸気爆発に始まり、溶岩の流出、火砕流の流下、火山灰の噴出などがあった。
「文政の噴火」、1822年1月12日(文政4年12月20日)朝、山頂付近に白煙が観察され、夕方に水蒸気爆発を伴って噴火した。14日(22日)には南方を流れる天降川で泥流が発生している。8合目付近に新しい火口が形成され、軽石や火砕流の噴出を伴う噴火が繰り返された。
その後130年ほど休んで、昭和の噴火、1959年(昭和34年)2月13日に降灰を伴う小規模な爆発噴火があった。噴火に先立つ前兆現象は観測されていない。2月17日14時50分に爆発音と空振を伴って噴火が始まり、黒色の噴煙が上空4,000mに達した。その後数日間にわたって噴火を繰り返した後、次第に終息していった。