takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

アトミック パワー・その黎明期-4

 当然のこととは言え、19世紀末頃は放射線の危険性は認識されていませんでした。それは、20世紀初期の頃でもそれほど変りません。20世紀前半に作られた腕時計の長針・短針、あるいは文字盤には暗闇で光る放射生物質ラジウムが塗られていました。放射線と聞いただけでアレルギー反応を示す人なら卒倒しそうな腕時計です。

 この頃、ラジウム塗料を塗る作業は男性に比べて手の小さい女性の仕事でした。若い女性達が並んで机の前に座り、先の細い筆を壺に入ったラジウム塗料にひたし文字盤の点や針の真ん中に塗るという作業を行っていたのです。彼女たちは、点を綺麗に小さく塗るため筆の先端をなめて細く揃えていたのですが、その結果ラジウムを身体の中に取り込んでしまいました。身体の細胞から見ると、ラジウムはカルシウムと似ているため身体は骨にラジウムをため込んでしまうのです。数年の内に大勢の若い女性が、口に一番近い骨である顎のガンを発症します。また、ラジウムは、骨に吸収され骨髄も痛めるため重度の貧血も引き起こしました。顎の骨を手術するため、大勢の女性が容貌を崩し、最小でも5名の犠牲者が記録されています。

 ラジウム塗料の被害に遭った作業者達は、雇用主のユナイテッド ステーツ ラジウム社を相手取って裁判を起こしました。会社側は受けて立ち、何と彼女達は梅毒にかかっていると批難しています。しかし、公平な裁判が行われ会社側は自分たちは放射線から身を守る処置を行って置きながら、従業員には手を尽くして危険性を隠していたことが分りました。筆を舌でなめても安全だとさえ告げていたことも分りました。

 この裁判では従業員達が勝訴しました。しかし、方法は安全なものとなりましたが、ラジウム塗料を腕時計に塗ることは1960年代まで行われています。

 黎明期第1回で紹介した、マリー キュリーは、放射生物質を保護具なしで扱っていましたし、放射線技師としても遮蔽のない放射線機器を使っていましたから、1934年に亡くなった原因は放射線被曝が原因で発症する再生不良性貧血、または骨髄不全だったと思われます。実験室にあったマリーの論文や文献は今でも放射線を発しており鉛で内張された箱に保管されています。

 新しく発見された物質や開発された技術の危険性は後になって分ることが多々あります。現在では、危険性を考慮することは開発時点での最も重要なポイントと認識されていますが、それも、過去の大きな失敗が積み重なったお陰です。やはり、失敗を整理・記録することは人類の宝となるのです。