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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

太平洋上でのブラジル航空機謎の遭難事故

航空機・船舶の事故

1979年(昭和54年)1月30日にブラジル国籍のボーイング707-320F貨物機が太平洋上で行方不明になった。乗員6名が犠牲になったほか、日系ブラジル人画家、マナブ間部の作品53点も失われた。

ヴァリグ・ブラジル航空967便は、日本とブラジルを結ぶ航空貨物路線として当時週1回運航されていた。同便は火曜日の午後6時に新東京国際空港(現成田国際空港)を離陸し、12時間後に給油のためアメリカ合衆国ロサンゼルス国際空港に着陸したのち、ペルーのリマ経由でサンパウロのヴィラコッポス国際空港に向かうフライトプランであった。

事故の当日の1月30日、ボーイング707-320F貨物機(1966年製造)は積荷の搭載に手間取り、定刻よりも2時間強遅れの午後8時23分に新東京国際空港を離陸した。30分後の午後8時53分に銚子沖740キロメートルの太平洋の位置通報地点で、同機から東京航空交通管制部への「次の位置通報地点通過は午後9時23分」との通信を最後に消息を絶った。

当初、通信がないのは周波数を変えたためか通信機が故障したためと見られていたが、同機の搭載燃料がなくなる時刻になっても、太平洋沿岸のいずれの空港にも着陸せず、また手がかりもないため、運輸省は遭難と判断し、海上保安庁海上自衛隊の航空機による捜索活動が行われた。

しかし、墜落後も電波を発し続けるフライトレコーダーやボイスレコーダー、海面に漂う燃料はおろか、一切の機体残骸を発見することができず行方不明のままとなり、事故後30年以上経過した現在に至るまで残骸などは全く発見されていない。

同機が消息を絶った地点は日本海溝の水深が5,000 メートル前後ある海域であり、当時の技術では探知不能な深海に機体が水没したと判断された。乗員6名(機長、副操縦士とセカンドオフィサー・航空機関士各2名ずつ)は死亡したものと認定された。

 

//// ここまでは、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。

 

機体の破片はおろか、フライトレコーダーやボイスレコーダーが全く見つからないと言うのは珍しい事故である。この二つは事故後も30日間電波を出し続け居場所を知らせる優れた耐久性を持っている。また、707のような大きな機体の飛行機では、何の連絡もなく突然事故に遭遇した場合でもその痕跡は発見できるものである。しかし、この事故に限っては何にも見つかっていない。貨物機であったため、搭乗員は6名だが、この6名の遺体も見つかっていない。事故当時は、様々なミステリー情報がスポーツ新聞や雑誌を賑わした。現在でも、コンビニで販売している「謎・ミステリーゾーン」等の本に時々掲載されている。「魔の海」、「日本近辺にもあった、ドラゴントライアングル」と言った感じだ。勿論、私は、その類は一切信じない。調べることが難しくて分からないことがあることは認めるが、それを超常現象と一括りにしてしまうことは技術者として失格だと思う。

この事故に関しては、前述の理由により原因は解明されないままであり、教訓としても何にも残らなかった。大抵の技術者なら、やりきれない後味の悪い事故である。