takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

飛行中に旅客機の天井が吹き飛んだ・アロハ航空機の事故

1988(昭和63年)年4月28日、アロハ航空B-737型機がハワイ島のヒロを出発してオアフ島のホノルルへ向かう途中、マウイ島上空7,200m付近でコックピット後部の客席部分が突然吹き飛び、客室乗務員一人が機外に吸い出された。しかし、幸い一系統の油圧制御システムが無事であったため墜落をまぬがれマウイ島の空港に緊急着陸を行った(図2参照)

この事故は機体の整備体制にも問題があったために発生したものであり、運航会社が保守・整備を疎かにしてそれが原因で事故が発生した場合には取り返しのつかない大変な結果を産むことを示唆したものである。 

当該機は1969年に製造され19年を経たいわゆる経年機で、事故に至るまで89,600回余りの与圧サイクルが繰返されていた。運航会社による十分な整備点検が行われていなかった。 

原因

航空機の内外圧力差が最大になったあたりで機体の一部が大きく裂けた理由は、腐食等に拠って多数のリベット孔がほぼ同時に損傷する、いわゆるマルチサイト損傷が一気につながったためである。マルチサイト損傷が発生した理由は図3に示すように、機体外板を製造過程において接合する際に、荷重伝達をよくする目的で接合面に用いたスクリムクロスが常温接着によって接着されていたため、永年に渡る水分の吸着と脆化によっていたるところで剥離を生じ、力がクロスの面せん断によって均等に伝えることができず、却って接合板のリベットの弛みの原因となり、ファスナ部の各リベット孔からのマルチサイト損傷を助長させる結果となっていた。高温で加熱接着する方式を取っておけば水分の吸着が起こりにくく早期に劣化することはなかった。また、事故に至る以前に機体表面にすでに目視によっても容易に発見可能なき裂が存在していたにもかかわらずこれが見逃されていた理由は航空会社が必要な整備・点検作業を怠っていたためである。

 

背景

アロハ航空は事故時点まで、経営状態の逼迫に伴い会社ぐるみ利益優先で、経費節減の立場から必要最低限の整備さえも疎かにし、乗客が搭乗の際に視認したような大きな損傷までも見逃していた。 

 

後日談

FAA(連邦航空局)はこの事故に至るまで、航空機の耐久性設計・製造管理について航空機メーカーの指導監督にも関与していた。しかし、メーカーとの接触を維持していることは、設計・製造・維持・管理等に安全上の問題が生じた場合には監督官庁としてメーカーサイドに厳しい立場を貫くことが困難になることがあるとの見解から、以後FAAは航空機の耐久性設計・製造管理分野にタッチせず、運航安全審査分野業務に徹するとの方針転換のきっかけとなった。

わが国では同種の事故が起こった際、監督官庁の責任を問い、米国の対応とは逆に国は設計や製造により深く関与すべきだと考える人達もいる。何処まで国の責任で行うべきかについて示唆に富んだ事例となっている 

 

//// ここまでは、失敗知識データベースから省略・加筆して転載した。

 

上記の図2参照にリンクした朝日新聞の写真を見れば、機体損傷の凄まじさが理解できると思う。上空7200メートルでこの状態になったら生きた心地はしないだろう。まさに、オープンカー改めオープン飛行機である。正直これでよく墜落せずに済んだものだと思う。機外に吸い出された客室乗務員は、気の毒としか言いようが無い。

飛行機事故で保守点検が原因となる場合、その真因を調べると航空会社の経営状態に行き着くことが多い。しかし、必要最低限の整備さえ疎かにしていたらパイロットは気付くはずだと思う。会社の経営者は、飛行機に乗らないでいることもできるがパイロットはそうはいかない。「うちの会社は、保守費用をケチってちゃんと整備してないからその内墜落するかもしれねーゾ」、「え~冗談キツイですよ!」なんていう会話が操縦室で交わされていたかも知れない。私なら、怖くて操縦する気にならないが何時も乗っていると慣れてしまうものなのだろうか。