飛行機の燃料切れ
1990年1月25日にアビアンカ航空052便は、乗員9人と乗客149人を乗せ、南米コロンビア、メデジンのホセ・マリア・コルドバ国際空港を離陸した。行き先は、米国、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港 である。052便の機体の自動操縦装置は故障していたため、機長はニューヨークまでの約6時間を手動で操縦した。そのため機長をはじめ運航乗務員の疲労度が通常に比べ高かった。加えて、米国領域に進入後、悪天候による空港混雑のため JFK 上空で1時間17分近くにわたる上空待機を指示された。当日、ジョン・F・ケネディ国際空港周辺の天候は暴風雨で052便の他にもかなりの数の待機機があった。
JFK 上空において、052便は、管制塔から既に2度の追加管制承認予定時刻通知を受けてずっと待機状態を続けていた。しかし、3度目の EFC を告げられた時、これに対して052便の副操縦士は、「燃料が残り少ないため着陸を優先して欲しい」と返答した。
管制塔は直ちに対応した。しかし、この時点で「緊急事態」の意識は無く単に着陸の順番を繰り上げただけだった。
052便は通常手順でアプローチを行ったが、滑走路端から数キロメートル、高度およそ500フィートでウィンドシア(風の状況が狭い範囲で急激に変化すること)に遭遇し、降下率が増大しグライドスロープから逸脱、高度は100フィート程度まで下がり対地接近警報装置が動作した。そのため、燃料が残り少ないことは承知していながらも、機長は着陸復行することにした。
再度着陸進入のため旋回中、燃料がなくなり第3、第4エンジンが停止した。そのあとに第1、第2エンジンも停止。エンジンがすべて停止し高度を維持できなくなり、052便はジョン・F・ケネディ国際空港から約24キロメートルのロングアイランドのコーブネックに墜落した。
機体は、前部、中央部、尾部に分裂した。しかし、燃料はほとんど無かったため火災は発生せず、およそ半数の乗員が助かっている。事故機には運航乗務員3名、客室乗務員6名、乗客149名の計158名が搭乗していた。その中の乗員8名、乗客65名の73名が死亡し、81名が重傷を負い、4名が軽傷を負った。死亡者の中には大破した操縦室の中にいたコックピットクルー(機長、副操縦士、航空機関士)3名も含まれる。
墜落の直接原因は、待機飛行が予想以上に長引いたために搭載した主燃料、予備燃料ともにすべて使い切り、エンジンが停止し墜落したことである。
NTSB の事故報告書では、この事故の主たる原因はフライトクルー(運航乗務員)の残燃料量の管理に落ち度があったこと、および管制塔に対して自機が緊急事態であることを正しく伝えるためのコミュニケーション能力(スペイン人のクルー)に問題があったこと等を挙げている。
緊急事態を宣言しなかった原因としては、エマージェンシーとプライオリティを同義語と考えていたクルーの英語力の不足が挙げられている。しかし、ボイスレコーダを調べた限り、交信を担当していた副操縦士は、燃料の窮状を強く主張するのをためらっており、NTSBは副操縦士の交信内容について完全に分裂していると述べている。また、副操縦士以外には事故機のパイロットの中に英語が分かる者はいなかったらしい。これは、日本ではあり得ないことだ。
その他パイロットに対する要因だけをあげると
(1)もう一度のアプローチの燃料はあるだろう。
(2)燃料残が少なくてもすぐにはフレームアウトしないだろう。
(3)エマージェンシーを宣言して着陸すればFAAが燃料の残量を計算するがその時燃料に余裕があれば他の航空会社やFAAに迷惑をかけてしまうので、プロの誇りが宣言することを躊躇させた。
(4)パイロットの英語力が限られたもので、表現が曖昧な意味になってしまい、管制に対し緊急事態の状況が明確に伝えられなかった。
(5)キャプテンとコ・パイロットとのクルー・コーディネイションが悪く意志疎通が破綻してしまった。
(6)ATC用語の使用に一貫性がなかったため、パイロットは単に「代替のボストンまでの燃料はもうない」とか「燃料がなくなりそうだ」とかの表現で緊急事態を管制に伝えたが、管制側は「エマージェンシー」という言葉をパイロットが使用しなかったため優先扱いの措置を取らなかったなどが考えられている。