インフラ途上国日本
これは本当に情けないと思います。
もう一つ
いかに記録的な大雨と言えども、地震と異なり雨は事前に分っている訳です。
ハザードマップも、避難警告も何の役にもたたない。
インフラ整備ぐらいしっかりやってくれと言いたい。
今、分っているだけで49名の方が亡くなっている訳です。
日本は自然災害大国なのは分っているわけです。
インフラの整備はそれなりにやるべきです。
データで見たい方はこちらをどうぞ。
http://www.mlit.go.jp/river/sabo/jirei/h29dosha/H29dosyasaigai.pdf
3~4年に1回の割合で、今回ぐらいの被害は出ています。
亡くなった方の冥福をお祈りいたします。
オウム真理教幹部の死刑執行
かの有名な事件です。
と言っても、20年以上も前の事件ですから、大学生までの方はほとんど知らない事件でしょう。
事件自体は平成7年の話です。
教祖は空中浮揚ができるということだったので、絞首刑は無理かと思いましたが、できたのですね。
やはり空中浮揚は嘘でした。
私自身は、友人、知人で被害者も加害者もいません。
ただ、事件当時自分の親から「おまえやってないだろうね?」と疑われました。
アホらしいです。
テロで世の中が良くなると思ったことはありません。
ですから、共産主義の暴力革命も全く認めません。
とにかく、今回、平成7年当時を思い出しました。
お茶の水女子大学さん、本質的に解決した方が良い
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第14弾『バスカヴィル家の犬』
これまで、シャーロック・ホームズシリーズ60作の内、有名な作品を選んで感想のようなものを書いてきました。今回の14作品目で一応、終了です。また、時間を空けて他の作品も紹介するかもしれませんが、ここまでで一度終了します。
長い間、ありがとうございました。
最初の「まだらの紐」は2月3日に公開しましたから、4ヶ月半掛かったことになります。
この少し前から小説も書いていました。
さて、今回の『バスカヴィル家の犬』ですが、少し趣向を変えて読んでいます。
何をしたかと言いますと偕成社版の児童書にて、「バスカビル家の犬」を読んでみましたのです。
この「新たな試み」のきっかけは、子供の頃の読書経験を、追体験したかったからです。―ポプラ社の「少年探偵団」シリーズ―
あの硬い表紙―手に持つと、子供にとってはその重厚感がいい―を開くと、明智小五郎と少年探偵団が、怪人二十面相と死闘を繰り広げる。ドキドキして読んだ方も多いと思います。裏表紙は、明智小五郎の有能な助手・小林少年が、弁当箱のような大きいトランシーバーを持ち片膝ついて、秘密の話をしている挿絵。江戸川乱歩の推理小説は、ミステリアスで「大人の読者へパスポート」でした。
『バスカヴィル家の犬』。偕成社版であっても、当時のドキドキ感が蘇り、児童書であっても、大人も十分に楽しめます。なんといっても、数は多くないのですが、挿絵がいい。効果的に配置されています。ポプラ社の「少年探偵団」シリーズもそうでした。推理小説なので、子供にはちょっと怖く、恐怖感をあおるものでした。
P28の挿絵は、『バスカヴィル家の犬』の魔犬伝承物語を説明したもの、その物語のハイライトは、以下のように訳されています。
「三人の酔漢の頭髪もさかだつ恐怖は、娘のむくろにあらず。(中略)おぞましき巨大なる黒き獣の、ヒューゴーのむくろにおおいかぶさりて、のどにくらいつくを見たるがゆえなり。ヒューゴーののどを食いやぶりたる魔性の犬は、らんらんたる目と血のしたたる牙を三人にむけければ、彼ら、おののき悲鳴をあげて荒野を逃げもどりぬ。ひとりは、その日のうちに息たえ、ふたりは息あるも狂人となりしとぞ」。(「バスカビル家の犬」コナン・ドイル著、各務三郎訳、偕成社P28より)
陰鬱な挿絵に、時代がかった各務三郎さんの名訳が、相乗効果を呼び、大人の私でも十分に恐ろしい内容になっています。「大人の読者へパスポート」を手にしたばかりの子供には、恐怖そのものでしょう。
魔犬伝承物語もそうですが、「恐怖への強力なスパイス」は、舞台設定です。
「最後の事件」(1893年)以来、約8年間もの間、ドイルは、ホームズを墜落死させたままでしたが、以下の取材旅行をきっかけに、ホームズを蘇らせたのです。
「ジャーナリスト、フレッチャー· ロビンスンから、彼の故郷デボン州ダートムーアに伝わる魔犬伝説をききました。それは1901年3月のことでした。(中略)彼は、その月のうちに、フレッチャーといっしょに取材旅行にでかけました。(中略)
怪奇小説がすきだったドイルは、暗い幻想的なダートムーアの風景に惹かれました 丘 の斜面にある石器時代の住居跡、岩石が露出する起伏のはげしい荒野、プリンスタウン刑務所、グリムズパウンド沼…こうした背景から、本書でワトスン博士が描写するような馬をのみこむグリンペンの大沼や、脱獄囚がひそんだり、魔犬が跳梁する荒野が、生よれたのです」。(同書、P331)
何とも不気味な舞台設定が、『バスカヴィル家の犬』の恐怖をあおります。
大人になり、文庫本になじんできましたが、たまには、児童書にて、切り口を変えて読むと、「童心に帰った恐怖感」を味わえました。
このように考えると、どのような読み方をしても「ホームズ物はいつも楽しめる」といえます。
ウィキペディアから、お借りましした。原作が発表されたときの本の挿絵です。
<予備知識>
コナンドイルは、1893年に発表した「最後の事件」で一度ホームズを葬っています。
それから、8年ぶりで発表された新作が『バスカヴィル家の犬』(1901年発表)でした。
ドイルは、ホームズという役者がすでにいるのに、「新しい役者を用意する必要もあるまいと思った」と語っています。
しかし、この作品はホームズがライヘンバッハの滝へ転落する以前の事件を書いたものであるため、書店に押し寄せた読者は失望させられることになりました。
ホームズが本当の意味の生還を遂げるには、読者はもう数年を辛抱しなくてはならなかったのです。(1905年発行の第3短編集まで)
小説が完成しました
ついに、やっと完成しました。
新潮社の日本ファンタジーノベル大賞に応募しました。
400字詰め原稿用紙換算で364枚です。
2月半ばから書き始めて、5月末に一通り完成してから今まで推敲を続けました。
今回は、初挑戦なので二次選考を突破するのが目標です。
経過は、例え一次で落ちてもここに載せます。
11月の月刊新潮にのれば、最終選考に残ったことになります。
まあ、今回は無理でしょう。
それにしてもなんで小説なんて書こうと思ったのか?
自分でも少し不思議です。もちろん前から小説は好きでした。そのため、好きな学科はずっと理系でしたが、学生時代は小説ばかり読んでいました。
小学生時代は、シャーロック・ホームズです。
これは今、時々感想をここで公開していますが、新たに読み直して書いています。
次の「パスカビル家の犬」で一応終わりです。
中学時代は、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外、太宰治、後は横溝正史なんかに嵌っていました。横溝の本は今は持っていませんが、上記4名の本は、今でも全集を持っています。
高校時代(高専ですが)、海外文学に凝りました。
ビクトル・ユーゴー、ロマン・ロラン、バルザック、スタンダール、ドストエフスキー、チェーホフ、それとシェイクスピアも忘れられません。
ただ、ドストエフスキーは、嫌いになったこともありました。正直、くどい。
あまりににも、しつこい。でも、最近パラパラ読んだのですがやはり素晴しい作品ですね。できれば、この歳になってから「カラマーゾフの兄弟」と「悪霊」は読み返してみたいです。まあ、死ぬまでに読みます。
このように書くとお分かりでしょうが、現代の作家の本をほとんど読んでいません。そもそも、社会人になってからは、小説を読まなくなりました。年間で100冊程度の本は読みますが、小説は10冊になるかならないかです。
ですから、今回苦労しました。現代的な書き方が分らないのです。出来上がって、応募したのですがこれで良いのかどうか分りません。でも、懲りずに次作を書くつもりで今、次作のプロットを用意しています。
ビジネス書や試験対策の本と異なり小説は「作り話」です。言ってみれば「嘘」の話です。他人が語った「嘘」の話を人に読ませる意味はなんでしょうか?
坂口安吾という昭和初期~中期の作家をご存知ですか?
その人が小林秀雄のことを語った「教祖の文学」の中でこんなことを書いています。
小説なんて、たかゞ商品であるし、オモチャでもあるし、そして、又、夢を書くことなんだ。第二の人生といふやうなものだ。有るものを書くのぢやなくて、無いもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして跳びあがる。だから墜落もするし、尻もちもつくのだ。
坂口安吾は、失敗作も多く、決して文豪と呼ばれる作家ではないのですが、この「教祖の文学」は好きだし、面白作品だと思います。
さて、自分の書いた小説を読み直して、何度も確認しました。
- 商品になるお話しだろうか?
- オモチャとして受け入れて貰えるだろうか?
- そして、夢が書けたのだろうか?
公開すると、応募資格がなくなりますから、公開は出来ませんが、落選した時点で公開するつもりです。
音楽が聴きたくなるけど・・・・・・
このところ、ブログをサボっています。
文字を書く量は全く減っていませんが、こちらではあまり書いていません。
自分のサイトでブログを書いているだけです。
こちらは週4回更新しています。
それはまあ、お許し頂くことにして、突発性難聴のことは前に書きました。
この病気の嫌なところは、音のあるところ、賑やかなところに行くと耳鳴りもそれに伴って大きくなるということです。
反響音の多い、場所は最悪です。
例えば、音の響く部屋、あるいは都内の大きな駅などです。
それと、以前はパソコンで仕事をするとき音楽を聴いたりしていたのですが、今はそれもできません。耳鳴りが酷くなるからです。
全く不便なものですね。
私は4テラの外付けHDに音楽CDを取り込んで持っています。
パソコンにはBOSEのスピーカーも繋がっているのですが、最近は全く使っていません。
音楽CDは
この通り1万ファイルで215ギガもあります。
一部落語もありますが、ほとんど全て音楽です。
CDは全て売り払いました。部屋に置けないからです。
ちなみに、フォルダー数が1500程度ですから。CDは1500枚ぐらいあったと言うことですね。以外に少ない感じです。
これ、もう一生聴けないのかと思うと少し悲しいですね。
そのため、最近はCDを購入していません。
まあ、音楽は諦めて耳の中でなっている騒音を静かに聴くことにします。
この病気は40~50代で発症することが多いようです。
該当する方で万一のときはすぐに治療を受けて下さい。
早ければ早いほど良いようです。
ちなみに、症状が似ている病気に以下があります。
・外リンパ瘻(ろう)
・メニエール病
・急性低音障害型感音難聴
・加齢性(老人性)難聴
・聴神経腫瘍
・騒音性難聴・音響外傷
・内耳炎
これらは、対処方法が異なるようです。
やはり早めに病院に行くのが良いと思います。
突発性難聴と言うやっかいな病気
私事ですが、3年前に突発性難聴になりました。
以来、右の耳の中ではいつもセミが鳴いています。
正直、不快な病気です。
また、飛行機に乗ったとき鼓膜が押される感じがしますよね?
あれが、片方だけ常にあって、ときどき痛くなります。
病院は4カ所も行きましたが、結局治りませんでした。
話によると、この突発性難聴は発症してから二週間以内に治療を始めると治る可能性が高くなり、逆に一か月以上たつと治る可能性が低くということです。
私の場合、発症して2日目には病院に行きました。でも効果は無かったようです。
まあ、残念ながら全員が完治するわけではなく、
完全治癒:改善はするが完全には治癒しない:改善がみられない=3:5:2とされています。
私はこの20%に入っていたのでしょう。
と、ここまでは良いのですが、最近左の耳も変なんです。
ときどきですが、圧迫痛が襲ってきます。割と痛いのですが、10分くらいで消えてしまいます。それが数日間隔です。
まだ、病院には行っていません。
この病気、原因は不明です。ですから予防方法もありません。遺伝する病気でもないようです。生活習慣を変えて治すこともできません。発症したら、一生このセミの声と鼓膜の圧迫が続く訳です。
もし、これが両耳だったらどうなるのでしょうか?
通常、突発性難聴は片耳だけですが、希に両方の人もいるようです。
たったこれだけのことですが、嫌なものです。
注意してどうにかなるものではないのですが、皆さんお身体は大切に。
シャーロキアンのシャーロックホームズ:第13弾『四つの署名』
「モースタン嬢はしっかりとした足どりで、臆したふうもなくはいってきた。ブロンドの若い女性で、小柄でなよやかなからだつきに、衣類の好みも上品であった。しかし上品とはいっても質素であっさりとしているところからみて、さして裕福な家庭の人とは思えなかった。着ているものは地味なグレイがかかったベージュで、飾りも襞(ひだ)もなく、頭には片がわに申しわけないばかりの白い羽根をつけたおなじ色あいのターバンをつけていた。顔だちもとくによいというではなく、色も冴えていなかったが、表情には愛嬌があってかわいかった。そして大きな青い瞳が不思議に知的で、やさしかった。これまでに見た多くの国々や三大陸の婦人のうちでも、これくらい垢ぬけのした利発な顔をもつ婦人をわたしは知らない」。(『四つの署名』コナン・ドイル著、延原謙訳 新潮社 P18より)
冒頭から、長々と引用をして恐縮ですが、以上が『四つの署名』の事件の依頼人であるモースタン嬢の登場場面です。もちろん、この描写はシャーロックホームズ物語の語り手ワトスン博士によるものです。結論から申し上げると、ワトスン博士はモースタン嬢に一目ぼれをし、事件解決後には、結婚を決意します。
元来、シャーロックホームズ物語は、登場人物描写に長けています。なぜならば、ホームズの観察眼にかかれば、依頼人や犯人等の特徴から、その職業や経歴を推理し、あっという間の事件解決へと一直線の道筋ができるからです。これは、コナンドイルも意識してそのように書いていたようです。
しかし、ワトスン博士によるモースタン嬢の描写は、いつもの人物描写と様相が違っています。ワトスン博士が一目ぼれをしている為に、詳細にわたり、モースタン嬢を観察しています。ただ、一目ぼれという瞬間湯沸かし器的な「恋の始まり」にブレーキをかけようと、否定的な見方もしています。誉めたり、けなしたりと感情の動きも忙しいです。
例えば、「ブロンドの若い女性で、小柄でなよやかなからだつきに、衣類の好みも上品であった」と持ち上げてみるものの、「しかし上品とはいっても質素であっさりとしているところからみて、さして裕福な家庭の人とは思えなかった」と、失礼な見方をしています。
そして、結局は、最大の賛辞ともいうべく「これまでに見た多くの国々や三大陸の婦人のうちでも、これくらい垢ぬけのした利発な顔をもつ婦人をわたしは知らない」と言い放つのです。
一方のホームズは、モースタン嬢に対して、淡泊そのものです。モースタン嬢を見送った後、ワトスン博士は、その美しさを絶賛します。ホームズは、「『そうだったかい、あの婦人が?僕はきづかなかったな』彼はパイプを口にし、椅子にもたれこんで、眼(ま)瞼(ぶた)をたれたまま、うるさそうにいった」。(同書 P25より)我関せずの態度です。
さらに、「『僕の見たうちで最も心をひかれた美人というものは、保険金ほしさに三人の子供を毒殺して、死刑になった女だった』」(同書 P26より)と、友であるワトスン博士の恋愛感情を否定します。
ひどい態度をとるホームズですが、最後には、いつも通り、ワトスン博士との名コンビで事件解決の帳尻を合わせます。人間臭いワトスン博士が、電光石火の推理のホームズを際立たせているといっても過言ではないでしょう。
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シャーロキアンのシャーロックホームズ:第12回『恐怖の谷』
最後の事件』にて、シャーロック・ホームズは、モリアティ教授とスイスのライヘンバッハの滝にもみ合いながら転落。二人とも死亡したことになっています。
ここで、「死亡したことになっています」と表現したのは、以下の理由からです。『最後の事件』は、1893年12月発表で、『恐怖の谷』は、1914年9月から翌1915年5月の発表です。この間の1903年10月に発表された『空家の冒険』にて、ホームズは、ワトソンの前に姿を現しています。つまり、『最後の事件』にて死んだはずのホームズは、『空家の冒険』にて生き返ったのです。この「生き返り」は、物語上でいえば、ライヘンバッハの滝の決闘が行われた1891年5月4日の3年後となっています。この3年間は、世のホームズファンから「偉大な失踪機関」と呼ばれています。
一方、決闘相手のモリアティ教授も、『恐怖の谷』にて再登場します。わざわざ生き返らせたモリアティ教授の存在は、作者のコナン・ドイルにとって、ホームズ、ワトソンについで重要な人物だったと思われます。
『恐怖の谷』は2部構成となっています。『緋色の研究』等と同じです。
第1部で事件の概要と解決に至るまでのホームズの推理が記されています。そして、第2部で事件の背景となった「恐怖の谷」と呼ばれるアメリカの炭鉱街・ペンシルベニア州ヴァーミッサ峡谷(Vermissa)での事件を記している訳です。注意ですが、日本語訳版では1部と2部の掲載順が逆になっているものもあります。
シャーロック・ホームズの終生のライバルとされる、ジェームズ・モリアーティ教授が事件の黒幕にいるとされています。
もう一つ、シャーロキアンの間では突っ込みどころが多くて有名な作品がこの『恐怖の谷』です。年代の記述に作者コナン・ドイルの錯誤があり他の作品と話が合わないのです。
また、この作品では「バールストン先攻法(ギャンビット)」と言う言葉が生み出されました。現代でも推理小説に良く出てきますが、真犯人である人物を、既に死んでしまったかのように見せかけ、 読者が彼(彼女)を容疑者から外すようにとし向ける手法がそれです。
『恐怖の谷』にて、ホームズは、マクドナルド警部とモリアティ教授に関して、以下の会話を交わしています。マクドナルド警部は、モリアティ教授の書斎にて、当人と会見をしています。その書斎には、ジャン・バティスト・グルーズという画家の絵がかかっていました。
ホームズは、「1750年から1800年にかけて、はなやかな活躍をした写実派のフランス画家です。むろん画家としての活躍をいうのだけれどね。近代の批評家は、当時の批評家以上にたかく評価していますよ」(『恐怖の谷』コナン・ドイル著、延原謙訳 新潮社 P28より)と指摘し、その絵が四千ポンドで売れたといい、「探偵というものは、どんな知識でもいつかは役にたつ時のくるものです」(同書、P29より)と自慢げになります。そして、「教授の俸給は、二、三の信頼すべき出版物について確かめたところによれば、年俸七百ポンドです」と、四千ポンドの出どころを懐疑的に思うことで、『恐怖の谷』に関しても、「モリアティ教授黒幕説」を展開します。
ジャン・バティスト・グルーズという画家は、実存しています。モリアティ教授の書斎に、ジャン・バティスト・グルーズの絵を配することによって、生き返ったモリアティ教授が現実味を帯びてきます。小説の中に、うまく現実を取り入れていると思います。
この手法で、私のお気に入りの箇所がもう一つあります。
『恐怖の谷』の悪党・マギンティが、ヘラルド新聞のジェームズ・ステンジャーを演説で糾弾する場面で、ジェームズ・ステンジャーの記事を以下のように引用します。「東洋の弱小専制国にその状態あり」(同書、P221より)と、『恐怖の谷』の窮状を指摘しているのです。『恐怖の谷』の発表年からすると、「東洋の弱小専制国」とは、まさに日本のことを指摘しています。当時は、第一次世界大戦期です。小説の中に、うまく現実を取り入れているどころか、日本を「東洋の弱小専制国」と例えたのは、その先の日本の行く末を予言しているかのようで、コナン・ドイルの考察には、驚くばかりです。
毎月最低5回の更新を目指していますが、今月は苦しかったです。
無理かもしれません。