takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

シャーロキアンのシャーロックホームズ:第12回『恐怖の谷』

最後の事件』にて、シャーロック・ホームズは、モリアティ教授とスイスのライヘンバッハの滝にもみ合いながら転落。二人とも死亡したことになっています。

ここで、「死亡したことになっています」と表現したのは、以下の理由からです。『最後の事件』は、1893年12月発表で、『恐怖の谷』は、1914年9月から翌1915年5月の発表です。この間の1903年10月に発表された『空家の冒険』にて、ホームズは、ワトソンの前に姿を現しています。つまり、『最後の事件』にて死んだはずのホームズは、『空家の冒険』にて生き返ったのです。この「生き返り」は、物語上でいえば、ライヘンバッハの滝の決闘が行われた1891年5月4日の3年後となっています。この3年間は、世のホームズファンから「偉大な失踪機関」と呼ばれています。

一方、決闘相手のモリアティ教授も、『恐怖の谷』にて再登場します。わざわざ生き返らせたモリアティ教授の存在は、作者のコナン・ドイルにとって、ホームズ、ワトソンについで重要な人物だったと思われます。

『恐怖の谷』は2部構成となっています。『緋色の研究』等と同じです。

第1部で事件の概要と解決に至るまでのホームズの推理が記されています。そして、第2部で事件の背景となった「恐怖の谷」と呼ばれるアメリカの炭鉱街・ペンシルベニア州ヴァーミッサ峡谷(Vermissa)での事件を記している訳です。注意ですが、日本語訳版では1部と2部の掲載順が逆になっているものもあります。

シャーロック・ホームズの終生のライバルとされる、ジェームズ・モリアーティ教授が事件の黒幕にいるとされています。

もう一つ、シャーロキアンの間では突っ込みどころが多くて有名な作品がこの『恐怖の谷』です。年代の記述に作者コナン・ドイルの錯誤があり他の作品と話が合わないのです。

また、この作品では「バールストン先攻法(ギャンビット)」と言う言葉が生み出されました。現代でも推理小説に良く出てきますが、真犯人である人物を、既に死んでしまったかのように見せかけ、 読者が彼(彼女)を容疑者から外すようにとし向ける手法がそれです。

『恐怖の谷』にて、ホームズは、マクドナルド警部とモリアティ教授に関して、以下の会話を交わしています。マクドナルド警部は、モリアティ教授の書斎にて、当人と会見をしています。その書斎には、ジャン・バティスト・グルーズという画家の絵がかかっていました。

ホームズは、「1750年から1800年にかけて、はなやかな活躍をした写実派のフランス画家です。むろん画家としての活躍をいうのだけれどね。近代の批評家は、当時の批評家以上にたかく評価していますよ」(『恐怖の谷』コナン・ドイル著、延原謙訳 新潮社 P28より)と指摘し、その絵が四千ポンドで売れたといい、「探偵というものは、どんな知識でもいつかは役にたつ時のくるものです」(同書、P29より)と自慢げになります。そして、「教授の俸給は、二、三の信頼すべき出版物について確かめたところによれば、年俸七百ポンドです」と、四千ポンドの出どころを懐疑的に思うことで、『恐怖の谷』に関しても、「モリアティ教授黒幕説」を展開します。

ジャン・バティスト・グルーズという画家は、実存しています。モリアティ教授の書斎に、ジャン・バティスト・グルーズの絵を配することによって、生き返ったモリアティ教授が現実味を帯びてきます。小説の中に、うまく現実を取り入れていると思います。

この手法で、私のお気に入りの箇所がもう一つあります。

『恐怖の谷』の悪党・マギンティが、ヘラルド新聞のジェームズ・ステンジャーを演説で糾弾する場面で、ジェームズ・ステンジャーの記事を以下のように引用します。「東洋の弱小専制国にその状態あり」(同書、P221より)と、『恐怖の谷』の窮状を指摘しているのです。『恐怖の谷』の発表年からすると、「東洋の弱小専制国」とは、まさに日本のことを指摘しています。当時は、第一次世界大戦期です。小説の中に、うまく現実を取り入れているどころか、日本を「東洋の弱小専制国」と例えたのは、その先の日本の行く末を予言しているかのようで、コナン・ドイルの考察には、驚くばかりです。

 

毎月最低5回の更新を目指していますが、今月は苦しかったです。

無理かもしれません。