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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

拘り:こだわりは、時に間違いの元になります

日常 科学技術

「拘りの一品」なんて言うと、手作り工芸品や高級アクセサリー、高級文具、家具などを連想させます。「拘り」は、どちらかと言うと良いイメージの言葉です。しかし、その「拘りが」時に人間の判断を誤らせることになります。

 

 1960年代、世界の腕時計市場は、スイスの腕時計によって独占されていました。特に、高級品は世界市場の65%以上がスイス製の腕時計であり、正確な腕時計が欲しい人は誰でもスイス製の腕時計を購入していました。加えて、スイスの時計メーカは一番の地位に甘んじることなく、秒針を発明し、防水構造を考え、最高の自動巻き機構を考え出していました。トップランナーであることに安心せず常にイノベーションを追及していたのです。

 

 1968年の腕時計に関する市場データを見ると、販売個数で世界市場の67%、売上金額では80%を握っており2位以下を大きく引き離していました。しかし、その12年後、1980年になると腕時計市場の占有率は大きく変化しています。販売個数は67%から10%まで落ち込み、売上ベースでも20%を切るまで下がりました。腕時計はスイスのものと考え、誇りを持って時計作りに励んでいたスイスの時計職人はたまりません。1979年から81年までの2年間で当時62,000人いたの時計職人は、12,000人まで減らされました。なんと、2年で50,000人の「拘りの職人」達がが職を失ったのです。当時のスイスの人口は500万人程度ですから影響の大きさはお分かり頂けると思います。

 

 この大きな市場の変化の中で、スイスに変わってトップランナーになった国はどこでしょう。そうです、日本です。60年代後半、すでに日本のメーカ(セイコーシチズン等)はスイスと肩を並べるほどの技術力を有していましたが世界市場でのシェアは1%に満たないものでした。しかし、日本はエレクトロニクス分野では当時すでに世界トップの実力とシェアを誇っていました。そのエレクトロニクス技術が腕時計で活かされたのです。

 

 クオーツ時計には、ゼンマイもベアリングもありません。歯車でさえほとんど無いのです。スイスの時計職人は、この電池を入れるだけで動く時計を「こんなものは、時計じゃない」と考えました。しかし、日本の時計メーカは違いました、日本のメーカは、クオーツ発振に日本の力を活かせる可能性を見つけたのです。

 

 スイスにとって残念でならないのは、スイスの時計メーカが、みずからの将来を見通す力さえもっていれば、この悲劇は完全に避けられたという点です。すなわち、伝統的な腕時計の構造に関する「拘り」が世界の時計市場に対する変化を見落とす原因だったのです。クオーツ発振の原理そのものは1920年代に、イギリス国立物理学研究所とアメリカのベル研究所で発見されていましたが、スイス人自身も、水晶発振の研究では、画期的な成果をあげていました。スイスのヌーシャルテル研究所は、電気的刺激をあたえると正確な周期で振動する水晶の特性を、腕時計に応用することに成功していたのです。しかし、スイスの時計メーカはこれまでの精密な時計の機構に「拘る」あまりクオーツ時計を作ることはしませんでした。そのため、ヌーシャルテル研究所が、1967年の世界時計会議にクオーツ時計を展示することを許可し、日本の時計メーカセイコーがこれに飛びついたのです。その後の歴史はご存知かと思います。もの作りへの「拘り」が悪い方向に出た典型的な事例です。

セイコーは、1969年に世界初のクオーツ式腕時計「アストロン」発売しました。)