takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

東中野で3度目の列車衝突事故

1988年(昭和63年)12月5日午前9時30分頃、中央・総武緩行線東中野駅に停車中の津田沼発中野行下り各駅停車に後続の千葉発中野行下り各駅停車が追突。後続電車の運転士1名と乗客1名の計2名が死亡、116名が重軽傷を負いました。国鉄分割民営化後、初めて乗客に死者を出した事故です。(リンク先は、保存されている事故車両の写真

当時は、列車の遅延を取り戻すため安全確認を軽視することが常態化していました。本当の意味でこれが見直されるのは、2005年4月25日のJR福知山線事故の後です。また、この頃は、列車の遅延も慢性化していました。当時の新聞には、国鉄の分割民営化にその原因があると書かれていましたが、今となってみればそれは間違いだっと分かります。

いずれにしても、この事故では、列車の遅れを回復しようとした後続列車運転士が停止信号にも関わらず相応の措置をせずに進行した結果、見通しが悪い現場で停止中の先行列車に気付くのが遅れたために事故が発生したと見られています。

当該区間の保安装置はATS-B形で、警報が停止信号の約600m手前から作動し、さらに東中野駅手前約137mに設置されていた場内信号直下警報コイルでも警報を発っしています。しかし当時は、「確認扱い」と呼ぶ操作さえすればそのまま進行が可能だったのです。

加えて、この場所は過去(1964年・1980年の2回)にも同じような追突事故が発生しています。どちらの場合も停止信号警報の確認扱いをした後に一旦停止しないまま進行する「追い上げ運転」を行ったことが原因でした。この事故を含み3度とも、追突した電車の行先は「中野行」でした。それは、終着駅での折り返し時間が非常に短いために運転士は新宿~東中野間で走行中に持ち物をまとめるのが常態化していたからです。これでは、事故をなくすことはできません。現在は、この折り返し時間そのものが改善されています。

現在は、私鉄も含めて列車の遅延を無理に取り戻すことは行われていません。時刻表通りに運転するという「サービスの質」よりも、乗客の安全を優先しているからです。飛行機は、昔からそれが普通でしたが、列車は福知山線の事故が発生するまでそれができなかったのです。