takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

東伊豆町の熱川温泉内でのホテル大東館火災

1986年(昭和61年)2月11日午前1時35分頃、ホテル大東館の別館「山水」の配膳室付近より出火。出火当時は深夜帯で発見が遅れ、宿直だった2名の従業員が宿直室より「山水」に火の手が上がっているのを確認したのは出火から30分ほど経った午前2時頃だった。この「山水」は大東館の旧館にあたる建物で、昭和初期に建てられた木造3階建ての建物だった。また、当日は異常乾燥注意報が発令されており空気が非常に乾燥していた事などが重なり、火はみるみるうちに大きくなった。

出火原因は諸説あるが、配膳室の壁に使われていたベニヤ板が湯沸かし器やガスコンロによる熱で炭化してしまったのが一番の原因とされている(後の裁判による)。

従業員は協力して消火器やバケツを使って初期消火を試みるも、火の手は既に天井を伝っていたため消火が出来ず、警備員に消防署への通報を依頼した。しかし警備員は慌てて宿直室内の内線電話を使用した為に外線発信に手間取って消防署への通報が出来ず、被害がさらに大きくなってしまい、隣接する新館の「月光閣」(熱川ロイヤルホテル)にも火の手が上がってしまった。従業員2名は警備員に消防署への通報を依頼した後、旧館の避難誘導を諦めて新館の宿泊客の避難誘導を行っている。なお、幸いにもこの新館は壁の一部が焼損した程度で延焼自体は免れた。

結果的に消防署に通報したのは異変に気付いた近所の焼肉屋で、消防隊員が現場に到着した時は猛烈な火が建物を包んでおり、宿泊客の救出作業どころか消火作業もままならず、延焼を防ぐのが精一杯だったと言う。

このため「山水」は全焼し、施設にいた従業員1名と宿泊していた客25名はほとんど全員が逃げ遅れ、26名中24名(従業員1名、宿泊客23名)が焼死する大惨事となった。生き残った2名は夫婦で、たまたま夫がトイレに用を足すために起きて火災にいち早く気付いて妻を起こし、窓から屋根に登り屋根伝いに逃げて助かったものだった。従業員の一人が「建物に向かって声をかけたが助けを呼ぶ叫び声や絶叫などは全く聞こえなかった」と証言した事や死亡した客の大半が客室内で寝たままの状態で遺体となって発見されていることから、ほとんどの客が就寝中で火災に気付かないまま死亡したと思われる。

この火災では従業員の危機意識の薄さや警備員の警備の手薄さ、異常時の防火体制の甘さなどが問題視された。またこの建物は老朽化から通常は使われておらず、旅行シーズンやツアー客などで新館が満室になった時に補助的な役割として使われていたのだが、施設内で使われていた火災報知器が日頃から誤作動が多く、当時ツアー客や慰安旅行客などで満室状態だったにも関わらず従業員が意図的に報知器のスイッチを切っており、それが死亡者を増やした事も問題視された。

 

ここまでは、ウィキペディアから省略・加筆して転載した。////

 

バルブ崩壊の前、日本経済の黄金期1980年代の事故である。逆に、バブル崩壊、リーマンショックなどの不景気によって、このような旧式で危険な状態のまま放置されている旅館やホテルは少なくなっている(つまり倒産した)。「ノスタルジーだ」、「伝統だ」と宣伝するのは悪いことではない、しかし、安全配慮は別である。火災警報装置の誤作動が多いから、満室の時はスイッチを切るなどというのは殆ど犯罪行為だと思う。

また、厨房の壁は薄いステンレスを張ったベニヤ板であり、しかもそれは長年の使用により炭化していた。これでは、引火性固形物の中で火を使用していたのと同じ状態である。短時間のうちに、建物が全焼してしまったことも頷ける。

もっとも、火災が発生した旧館は、新館が満室の時以外使用していなかったらしい。経営者が勇気を持って早めに取り壊していれば、この事故は発生しなかったのだろう。