takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

フランケンシュタインの読了

あらすじをもう一度

多くの人は、この言葉から、額が広く、病的に青白く、憂いの瞳を持った醜悪な大男のことを想像するかと思います。
実際は、この人造人間である大男には、名前すらありません。生みだした天才科学者の名前が、フランケンシュタインです。これは以前紹介した通りです。

この科学者が、猛勉強の末に、自然科学の常識を打ち破り、自身の夢である人造人間を創り出します。しかし、自分で勝手に作っておいて、醜悪だと言う理由だけで化物を棄ててしまいます。ヴィクター・フランケンシュタインは、化物を見捨て放り出すことで最終的に復習される、この物語を大まかに言うとそうなります。創造主であるヴィクター・フランケンシュタインにとっては、生み出した時点で、単なる化物でしかなかった名前すらない化物、しかし本当の化物はどちらだったのか?

f:id:takumi296:20180128102722j:plain

 

フランケンシュタインは200年前の近未来小説

フランケンシュタイン」は、1818年に出版されました。今から、2世紀も前の物語ですが、ここ20年間における科学の進歩―1997年に、英国でドリーという名のクローン羊が生まれ、今や、中国がクローン猿を作ることに成功―を予見した200年前の「近未来小説」でもあります。要するに現代が舞台と言って良いのです。

 2世紀前に「フランケンシュタイン」のような人造人間ができるという例えは、現代科学においては、年の離れた一卵性双生児が生まれるということになります。実際に、中国の研究チームは、「原理的には人間にも応用できる」と、発表しています。
 誰が、自分と「年の離れた一卵性双生児」を望むのでしょうか。興味半分で、見てみたいという人もいるかもしれませんが、やはり、気持ちのいいものではありません。中国の研究チームは、医療研究が目的といいますが、人類の破滅に向かうような利用目的に悪用される可能性もあります。もっとも考えられるのは、臓器の提供が必要な病気になったとき、自分の一卵性双生児を作り、その臓器を取ると言う行為、あるいは考え方です。中国はこれをやるつもりなのかもしれません。

ヴィクター・フランケンシュタインが変わって行くところは上手い表現

ヴィクター・フランケンシュタイン

(この画像に深い意味はありません)

そういう意味で言うと「フランケンシュタイン」は、世に出た時点では、子どものように純粋無垢であったにも関わらず、知性と感情を獲得していく過程で、外見が醜悪だったために、出会った人々から忌み嫌われることによる愛情の欠落感が犯罪を起こしていくという人間心理―化物心理というべきか―の暗部を描き出しています。
 この暗部は、化物に復讐される過程において、性格が破綻していく創造主であるヴィクター・フランケンシュタインの人間心理を鏡で写し出したものでもあり、拡大解釈をすれば、現代社会において科学に関わる人間心理、もっといえば、人が誰しも持つ暗部をも示唆するものでもあります。
 このような解釈をすれば、人類全ては、この物語のような「化物心理の暗部」を持っていることになり、心苦しい読後感を覚えます。
 このような私の感想ですと、名作「フランケンシュタイン」を手に取る方も少ないかと思います。

映画「ミツバチのささやき
 ミツバチのささやき HDマスター

 

 なので、この私の読み込み方とは真逆に、「フランケンシュタイン」における「人間心理の純粋無垢」を見事に描いた映画「ミツバチのささやき」(1973年、スペイン、ビクトル・エリセ監督)を紹介したいと思います。
ミツバチのささやき」は、「フランケンシュタイン」(1931年、アメリカ、ジェイムズ・ホエール監督)を劇中劇として取り上げています。移動映画で同作品をみた6歳の主人公である少女・アナは、化物が、誤って、優しくしていた少女を殺してしまうシーンを見ても、怖さを抱きません。むしろ、興味を抱きます。姉のイサベルから、化物は精霊であり、友達になれば、いつでも会えると聞きます。実は、イサベルは、アナをからかっていたのですが、精霊の住処であると廃墟を教えられ、その廃墟に逃亡者が偶然にも逃げ込み、アナがその逃亡者を精霊と思い、リンゴや衣類を家から持ち出し、与えるのでした。
 アナが、逃亡者にリンゴを与えるシーンは、作品のクライマックスで、その大きな黒い瞳は、世の中の全てを包み込み、「純粋無垢」に昇華する奥深い神々しさがあります。
 私は、冒頭で「憂いの瞳」を持った化物と紹介しましたが、これは、大人である私たちの心理を表しているのかもしれません。ビクトル・エリセ監督は、アナの瞳を鏡として、化物を、そして私たちを純粋無垢に描いています。

[シェリー]のフランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

 

 もし、この小説を読むのであれば、このように、「フランケンシュタイン」という作品を通じて、純粋無垢な心のあり様に触れる体験もできます。あるいは、本当の化物は名前の無い人工生物なのか、それとも天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインなのか、悩みながら読んでい下さい。