takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

あの頃は燃えた、熱かった『日本オーディオ界』の70年代、80年代-7

 いつもこのブログをお読み頂いている「戯れ言」さんから、ティアックのレコーダーについてリクエストがあったので、何回かに分けて録音テープとテープ録音機について書きます。また、「のり巻き疾風」さんからご注意を受けたダイナミックレンジについては、そのあと、ノイズリダクションと絡めて説明したいと思います。お二人とも、コメントありがとうございました。

 第二次世界大戦が終わるまで、録音はレコード盤に依存していました。レコード録音は、板状の円盤に音を刻んで録音し、その刻み込まれた凹凸を針で拾い上げることで再生します。そのため、編集することはほとんど不可能、また、当初は音質もひどいものでした。1947年にテープレコーダーという技術(製品?)が登場し録音した音や音楽を簡単に編集できるようになり、事前に録音した素材をラジオ放送で使うことが一般的になります。

 ただし、それ以前に(1928年)ドイツ人技術者フリッツ フロイマー(1881年~1945年)は、磁気記録の媒体を、扱いやすく耐久性のあるプラスチックテープにして、これを利用したテープレコーダーの原型を完成させています。さらに、そのプロトタイプを電機メーカー・AEGが改良し、1935年に「マグネトフォン」の名で市販します。
 その後、化学メーカーBASF社の協力によるテープ材質の改良(アセテート樹脂)と、1938年の永井健三、五十嵐悌二による交流バイアス方式の発明で、1939年~1941年までに音質が飛躍的に改善され、実用に耐える長時間高音質録音が可能となったようです。もっとも、非常に高価なものでしたから、民間で使うレベルのものではありませんでした。また、ドイツは、この技術を軍の機密事項としていました。

 第2次世界大戦も終戦が近くなった頃、イギリスに駐留するアメリカ陸軍通信部隊の若き将校だったジャック マリンは夜遅くまで勤務している時、ドイツのラジオ放送から高品質の音楽が流れていることに気づきます。それは、当時のアメリカやイギリスで放送されていたレコード音楽より遁かに高品質でした。ドイツが敗戦すると、マリンはドイツ軍の最高機密であるエレクトロニクス機器を調査するため、フランスとドイツに派遣されました。たまたまマリンがフランクフルト近郊にあったラジオ局を訪れたとき、偶然ドイツのマグネトフォンを見つけます。ハイファイのオープンリール・テープレコーダーで、初期の磁気テープが使われていました。「マグネトフォン」(前述)の性能を実感したマリンは、アメリカ政府のために2台を手に入れ、別の2台をマリン個人用として分解して船便でサンフランシスコに送りました。

 2台の「マグネトフォン」を組み立てなおして改良し、マリンは1946年に公開実験を始めました。1947年当時アメリカの映画とラジオでもっとも有名だったスター、ビング クロスビーの前でマグネトフォンを実演したのです。クロスビーはレコード録音の品質が悪いからと生放送を強要するラジオ局の圧力を嫌って、ラジオ生放送から一時引退していました。しかし、マリンのテープレコーダーに感激したビング クロスビーは彼を雇い、1947年から1948年シーズンのラジオ番組の録音編集をまかせました。その後マリンの試作機をさらに発展させるためビング クロスビーは5万ドルを投資し、最初のアメリカ製オープンリールテープレコーダー、アンペックス200型および200A型が開発されることになったのです。

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(「図説世界史を変えた50の機械」エリック シャリーン著:原書房刊より)

今の、私たちが見ると信じられない大きさです。

これは、1947年ですから、ここから50年一寸でiPodが生まれています。

続きます。