takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

森鴎外も読もう-最後の一句

最後の一句」は、大正4年(1915年)に雑誌「中央公論」へ発表された作品です。鴎外の歴史小説は、比較的長い「阿部一族」を別にして短いものばかりです。私の持っている筑摩書房の全集は上下2段組みになっていますが、それで9ページです。恐らく、文庫本でも20ページあるかないかでしょう。すぐに読み終わる小説ですが、鴎外の真意は分かりにく小説です。

あらすじ

 桂屋太郎兵衛は、今で言う海運業を大阪で営んでいました。元文3年(1788年)桂屋太郎兵衛の船は、風波の難にあって積み荷の半分以上を流出させ船も大きく破損しました。船の船頭に雇われていた新七は、残った積み荷を現地で金に換えて大阪に戻ります。本来なら、米主と話し合って代金をどのように分けるのか決めるのですが、新七の甘言に乗せられて現金を船の修理に充ててしまいます。
 しかし、米主は米が半分は残っていたこと、それを現金に換えたことを調べ上げ、御上に訴えます。新七はどこかへ雲隠れし、罪は太郎兵衛一人が被ります。太郎兵衛は取り調べをうけ、死罪ときまります。
 悲嘆にくれる家族の中で、長女のいち(16歳)は父の無罪を信じ、単身、大阪西町奉行佐々又四郎に助命の願書を出し、父の代わりに自身と兄弟たちを死罪にするよう申し立てます。少女の大胆な行為に背後関係を疑った奉行は、大阪城代に相談、女房と子供たちを白洲に呼び寄せ、責め道具を並べて白状させようとします。
白州で佐々は一人一人に事情を聞きますが、いちは祖母の話から事情を聞き父の無罪を確信したこと、自身を殺して父を助けてほしいことを理路整然と答えます。なおも、「お前の申立には嘘はあるまいな」と佐々が拷問をほのめかして尋ねても、いちは「間違はございません」と毅然と答えます。さらに、お前の願いを聞いて父を許せば、お前たちは殺される。父の顔を見なくなるがよいか。との問いに対しても、いちは冷静に「よろしゅうございます」そして「お上の事には間違はございますまいから」と付け加えます。この反抗の念をこめた最後の一句は役人たちを驚かせます。

 ここで、鴎外はこう書いています。
「佐々の顔には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなった目が、いちの面に注がれた。憎悪を帯びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐々は何も言はなかった。
 次いで佐々は何やら取調役にささやいたが、間もなく取調役が町年寄に、「御用が済んだから、引き取れ」と言ひ渡した。
 白洲を下がる子供等を見送つて、佐々は太田と稲垣とに向いて、「生先(おいさき)の恐ろしいものでござりますな」と云つた。心の中には、哀な孝行娘の影も残らず、人に教唆せられた、おろかな子供の影も残らず、只氷のやうに冷かに、刃(やいば)のやうに鋭い、いちの最後の詞の最後の一句が反響してゐるのである。」

中略

「城代も両奉行もいちを「変な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑いてゐるのではないかと云ふ迷信さへ加はつたので、孝女に対する同情は薄かったが、常時の行政司法の、元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衛の刑の執行は、「江戸へ伺中日延」と云ふことになった。」

 

 

 この後、子供たちは殺されることなく、太郎兵衛は東山天皇の大嘗会に合わせた形で特赦、大阪を追放になるだけですみます。桂屋の家族は父と別れの挨拶もできました。いちが訴えてから4か月後ぐらいのことです。

 今風に言えばハッピーエンドと言えるかもしれません。元々、太郎兵衛は主犯ではありませんし、新七が逃げてしまったので、捕まったのですがいくらなんでも死刑は重過ぎます。江戸時代の町人に対する刑罰の重さは、奉行の違いで相当開きがあったようですが、死刑が特赦で追放になるというのも差がありすぎです。

 しかし、鴎外はこの小説で何を伝えたかったのでしょうか。一般的には、鴎外の官僚批判精神の発露と言われていますが、私は、それほど官僚を批判しているとは思えません。「お上の事には間違はございますまいから」の一句が痛烈な官僚批判でしょうか。

 私は、官僚批判云々よりも、頼りにならない母親に代わって、父親を助けようとした、いちの態度の立派さに鴎外が感心したのだと思っています。小説の途中でこんな描写もあります。

「「さうか。」佐々は暫く書附を見てゐた。不束(ふつつか)な仮名文字で書いてはあるが、条理が善く口く整ってゐて、大人でもこれだけの短文に、これだけの事柄を書くのは、容易であるまいと思はれる程である。大人が書かせたのではあるまいかと云ふ念が、ふと萌(きざ)した。」

 これは、いちの頭の良さを表現するために鴎外が考えたことでしょう。逆に、その後、家族が取り調べられるのですが、太郎兵衛の女房がバカっぽく表現されています。その対比があるため、なおさら、いちの優秀さが際立って見えます。

  この小説は、江戸時代の狂言師太田蜀山人の随筆「一話一言」が原作です。鴎外は、この随筆を読んでいちの立派さに感服して話をアレンジしたのでしょう。「お上の事~」も原作の随筆にはありません。