takumi296's diary

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漱石を読もう-三四郎

 春風の爽やかさ・夏目漱石「三四郎」

「三四郎」は、夏目漱石の長編小説中屈指の小説です。「朝日新聞」には、明治41年(1908年)9月1日から、12月29日にかけて連載されました。全13章からなります。また、翌年5月には春陽堂から単行本として刊行されました。文学史的には、「それから」「門」へと続く前期三部作の一つと言われています。

漱石は、連載に先立ち、朝日新聞紙上で「三四郎」の予告を書いています。

「田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入つた三四郎が新しい空気に触れる、さうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して色々に動いて来る、手間は此空気のうちに是等の人聞を放す丈である、あとは人聞が勝手に泳いで、自ら波紋が出来るだらうと思ふ、さうかうしてゐるうちに読者も作者も此空気にかぶれて是等の人間を知る様になる事と信ずる、もしかぶれ甲斐のしない空気で、知り栄のしない人間であつたら御互に不運と諦めるより仕方がない、ただ尋常である、摩詞不思議は書けない。」

 漱石の言うとおり、尋常で、摩訶不思議のない小説です。刺激的な要素はありません。ですから、ハラハラ・ドキドキは全くありません。そのため、小説に痛快さや激しさを求めるかたには向かないでしょう。しかし、刺激物ばかり取るのは体にもよくありません、休日の午後にはのんびりとした「三四郎」の一読を、お薦めします。岩波文庫の価格は420円、325頁のほどよい長さです。読後感の良さでいうなら、「坊つちゃん」や「吾輩は猫である」よりも、「三四郎」の方が上です、それは間違いありません。
 物語は、東京の大学に入学が決まり、熊本から汽車で上京する場面で始まります。当時は新幹線なんてありません、主人公である三四郎が熊本から東京へ向かう場合は、関西で汽車を降りて車外で一泊します。そんな場面で三四郎は、たまたま汽車の中で知り合った見知らぬ女性に頼まれ、同じ宿の同じ部屋に泊まります。勿論、間違いなんて起こりません。次の朝の描写を、原文から紹介します。

 

『夜はやうやう明けた。顏を洗つて膳に向つた時、女はにこりと笑つて、「昨夜は蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「えゝ、有難う、御蔭さまで」と云ふ様な事を真面目に答えながら、下を向いて、御猪口の葡萄豆をしきりに突つき出した。
 勘定をして宿を出て、停車場へ着いた時、女は始めて関西線四日市の方へ行くのだと云ふ事を三四郎に話した。三四郎の汽車は間もなく来た。時間の都合で女は少し待合せる事となつた。改札場の際迄送つて来た女は、「色々御厄介になりまして、…‥では御機嫌よう」と丁寧に御辞儀をした。三四郎は革鞄と傘を片手に持つた儘、空いた手で例の古帽子を取つて、只一言、「左様なら」と云った。女は其顏を凝と眺めてゐた、が、やがて落付いた調子で、「あなたは余つ程度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。三四郎はプラット、フォームの上へ弾き出された様な心持がした。』(漢字は、今様に変更)

 

 見事な導入部です。漱石は「三四郎」の直前に、「虞美人草」を書いています。「虞美人草」の後とは思えない軽い、軽妙な文章です。この第一場面の愉快な導入部に三四郎の人柄が過不足無く表現されていますから、後に展開するエピソード中の三四郎の純朴さを読者は素直に信じます。
 三四郎は、上京した後、広田、与次郎、野々宮、美禰子などの個性的な登場人物とさまざまな交流を経て、成長して行きます。
 漱石は、三四郎に西洋文明の偉大さを東京の中で経験させながら、田舎の母からの手紙によって、旧来の日本と対比させます。三四郎は母に済まないと思いながら、母からの手紙を読むと、こんな暢気なことでは駄目だと考えます。三四郎の心の動きが見事に描写され、読者は三四郎の気持ちを追体験できます。
 まったく素晴らしいできです。

  作家は、士君子であらねばならぬと信じた漱石もこの「三四郎」の中では、誰も裁かず、悪人と呼べるような人物は登場しません。作中の人物達は、のどかに時間の中を流れ三四郎は、田舎の母からの手紙を読むときだけ旧来の日本を意識します。しかし、三四郎の中に焦りはありません。ですから、この小説が三部作の最初の作品だと言われても、それは評論家達が勝手にそう言っているだけで、「それから」や「門」の代助、宗助と三四郎は人格的に全く繋がりません。ですから、あえて三部作等と言う必要は、全くありません。「三四郎」を読む人は、心地よい春風を感じながら作中人物たちの会話を愉しみ、三四郎の成長を見守って行けば良いのです。