夏目漱石を読もう
日本人の小説家の中では一番好きな作家です。明治から戦前までの小説家で、その作品を全て文庫本で読めるのは漱石だけだと思います。今でも人気があるからでしょう。
私が漱石と出会ったのは、中学時代の教科書に部分的に載っていた「坊っちゃん」でした。でもこれは、たいていの人が同じなのかもしれません。その後、「我が輩はねこである」を、高校1年の参考書で読みました。もちろん、部分的です。さらに、高校2年の夏休みに「こころ」が読書感想文の課題図書になりましたから、「こころ」を読みました。
私は、中学時代から芥川龍之介と太宰治の愛読者でした。シャーロック ホームズは、小学校3年くらいから、今も読み続けていますが中学、高校の時は一時的にホームズから離れていました。
そんな中で、夏休みに「こころ」を読んでから漱石の大ファンになり、その年の終わりまでに学校の図書館にあった漱石全集を全部読み終えました。岩波の全集ですから全部で28巻ありましたが、小説以外は飛ばし読みです。
さて、その漱石の作品を年代順に見てみましょう。
中・長編小説
- 吾輩は猫である(1905年1月 - 1906年8月、『ホトトギス』/1905年10月 - 1907年5月、大倉書店・服部書店)
- 坊っちゃん(1906年4月、『ホトトギス』/1907年、春陽堂刊『鶉籠』収録)
- 草枕(1906年9月、『新小説』/『鶉籠』収録)
- 二百十日(1906年10月、『中央公論』/『鶉籠』収録)
- 野分(1907年1月、『ホトトギス』/1908年、春陽堂刊『草合』収録)
- 虞美人草(1907年6月 - 10月、『朝日新聞』/1908年1月、春陽堂)
- 坑夫(1908年1月 - 4月、『朝日新聞』/『草合』収録)
- 三四郎(1908年9 - 12月、『朝日新聞』/1909年5月、春陽堂)
- それから(1909年6 - 10月、『朝日新聞』/1910年1月、春陽堂)
- 門(1910年3月 - 6月、『朝日新聞』/1911年1月、春陽堂)
- 彼岸過迄(1912年1月 - 4月、『朝日新聞』/1912年9月、春陽堂)
- 行人(1912年12月 - 1913年11月、『朝日新聞』/1914年1月、大倉書店)
- こゝろ(1914年4月 - 8月、『朝日新聞』/1914年9月、岩波書店)
- 道草(1915年6月 - 9月、『朝日新聞』/1915年10月、岩波書店)
- 明暗(1916年5月 - 12月、『朝日新聞』/1917年1月、岩波書店)
短編小説・小品
- 倫敦塔(1905年1月、『帝国文学』/1906年、大倉書店・服部書店刊『漾虚集』収録)
- 幻影の盾(1905年4月、『ホトトギス』/『漾虚集』)
- 琴のそら音(1905年7月、『七人』/『漾虚集』収録)
- 一夜(1905年9月、『中央公論』/『漾虚集』収録)
- 薤露行(かいろこう)(1905年9月、『中央公論』/『漾虚集』収録)
- 趣味の遺伝(1906年1月、『帝国文学』/『漾虚集』収録)
- 文鳥(1908年6月、『大阪朝日』/1910年、春陽堂刊『四篇』収録)
- 夢十夜(1908年7月 - 8月、『朝日新聞』/『四篇』収録)
- 永日小品(1909年1月 - 3月、『朝日新聞』/『四篇』収録)
1905年は、明治38年です。漱石は慶応3年(1867年)2月9日の生まれですから38歳でした。それから11年、絶筆となった「明暗」は大正5年(1916年)の暮れまで執筆されていました(亡くなったのは、12月9日)。
上記の作品発表年を見ても分かるとおり、短編は最初の半分の間しか書いていないのです。また、文学論や書簡にも時々書いているのですが、長編小説の方が自分の書きたいことを書くには都合が良かったようです。また、私自身「夢十夜」を別にすれば、短編にはあまり面白い作品がないと思っています。
さて、長編小説だけで15作品ありますが、私は以下の5作品は特に優れていると思います。今日は、作品名だけにしますが、明日は個別に書いてみようと思います。
5位:行人
4位:坊っちゃん
3位:我が輩はねこである
2位:三四郎
1位:明暗
みなさんは、いかがですか?