takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

日本航空350便・「逆噴射」墜落事故

1982年(昭和57年)2月9日、当時の日本航空、福岡発東京行350便、DC-8-61型機(機体番号JA8061)が羽田空港沖に墜落した。

事故を起こした350便は、9分遅れの午前7時34分に福岡空港を離陸した。その後、フライトプランに沿って順調に飛行し、8時35分には羽田空港への着陸許可を受け車輪、フラップをおろして着陸準備に入った。

高度200フィート(約61メートル)までは順調であったがその直後の8時44分1秒、機長は自動操縦装置を切ると、突如として操縦桿を前に倒し、機首を下げながらエンジンの推力を絞る操作と、エンジン4基のうち2基の逆噴射装置を作動させる操作を行ったため、機体は前のめりになって降下し始めた。

エンジン音の異変に気付いた航空機関士が「パワー・ロー」と叫んで推力を戻し、副操縦士が操縦桿を引き上げたが、8時44分7秒、滑走路手前の海上にある誘導灯に車輪を引っ掛けながら滑走路直前の浅い海面に機首から墜落した。機体は機首と機体後部で真っ二つになったが、墜落現場が浅瀬だったため機体の沈没は免れた。

墜落した場所は多摩川の河口付近で、川崎側にある東芝の実験用原子炉から200~300メートルしか離れていなかった。

この墜落により乗客24名が死亡、乗務員を含む149名が重軽傷を負った。

この事故の直接の原因は機長の操縦によるものである。機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。

後に機長は、この操作の直前に「イネ、イネ」(去れという意味の「去ね、去ね」と思われる。「イネ」と言うのは方言で使用されている地域もある)という山彦のような声が聞こえ、その後は墜落直後まで気を失ったと述べている。実際には墜落まで機首下げを行おうとしていたため、副操縦士が「キャプテン、やめてください!!」と叫んでいるが、この時点では既に機長は判断能力を著しく失っていた可能性が高い。

機長はこれ以前から心身の状態が優れず、心身症の治療中であった。その後の司法当局の捜査でも「妄想性精神分裂病」(現在でいう統合失調症)であり、機体を墜落させるような操作を行ったのは、病気の症状である幻聴などの影響を受けたものと判明した。

機長は業務上過失致死罪により逮捕となったが、精神鑑定により統合失調症と診断され、心神喪失の状態にあったとして検察により不起訴処分となった。

事故を起こした機長は、数度の異常な言動や操縦を行っていたが放置されていた。事故の前日にも、飛行中に機体のバンク角を70度近くまで取って旋回させるという、旅客機としては異常な操縦も行っていた。この操縦で乗客からのクレームもあったが、副操縦士が会社に対して報告を行っていなかったため、黙殺される結果となった。その理由として、「日本航空の会社としての異常な体質」、「日本航空において機長は管理職であり、副操縦士は評価をされる側であり言いにくかった」などが考えられている。 

DC-8は、1950年代後半に開発されたジェット旅客機の黎明期の機体である。そのため、飛行中のグラウンドスポイラー作動など、後継となった機種では不可能にされている危険な機器操作が可能であった。本件においても、飛行中でも減速目的のために逆噴射機構が作動するように設計されていたことが、不幸な結果を招くことになった。 

 

ここまでは、ウィキペディアの記事を省略して転載した////

 

この事故で亡くなった方が、「あの世」と言うところで事故の原因を知ったら、さぞ悔しいことだろうと思う。未解決の殺人事件とは異なり、事故を起こした人物も特定されている。遺族の方にとってもやりきれない事故だと思う。

しかし、前述したように旧型の旅客機だったDC-8にも欠陥と言って良い大きな問題があった。「飛行中でも減速目的のために逆噴射が作動する」はないだろう。現在の旅客機ならあり得ない機能である。操縦士が誤操作をすることを全く考慮していないからである。

一方、日本航空側の人事管理もあまりに杜撰である。この事故を引き起こした機長は、以前から異常な行動があり周囲は気付いていた。また、その報告もあったらしい。しかし、何にも手を打たなかった。いや、正確に言うと機長は、「うつ病」と診断され医師による投薬を受けていた。しかし、日本航空で行っていた、6ヶ月毎の機長資格更新身体検査でも「問題無し」と判定されている。勿論、ある人に対して総合失調症であると判断を下すのは難しいことなのは承知している。しかし、大勢の客を乗せて空を飛ぶ乗り物を操縦させるのだ、周囲は気付いていたのであるから管理の方法はあったであろう。この事故の後、昭和58年11月からは、航空医学センターが設立し徹底的な検査を行うようになっている。