takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

シャーロキアンのシャーロックホームズ:第13弾『四つの署名』

 

「モースタン嬢はしっかりとした足どりで、臆したふうもなくはいってきた。ブロンドの若い女性で、小柄でなよやかなからだつきに、衣類の好みも上品であった。しかし上品とはいっても質素であっさりとしているところからみて、さして裕福な家庭の人とは思えなかった。着ているものは地味なグレイがかかったベージュで、飾りも襞(ひだ)もなく、頭には片がわに申しわけないばかりの白い羽根をつけたおなじ色あいのターバンをつけていた。顔だちもとくによいというではなく、色も冴えていなかったが、表情には愛嬌があってかわいかった。そして大きな青い瞳が不思議に知的で、やさしかった。これまでに見た多くの国々や三大陸の婦人のうちでも、これくらい垢ぬけのした利発な顔をもつ婦人をわたしは知らない」。(『四つの署名』コナン・ドイル著、延原謙訳 新潮社 P18より)

 


冒頭から、長々と引用をして恐縮ですが、以上が『四つの署名』の事件の依頼人であるモースタン嬢の登場場面です。もちろん、この描写はシャーロックホームズ物語の語り手ワトスン博士によるものです。結論から申し上げると、ワトスン博士はモースタン嬢に一目ぼれをし、事件解決後には、結婚を決意します。


元来、シャーロックホームズ物語は、登場人物描写に長けています。なぜならば、ホームズの観察眼にかかれば、依頼人や犯人等の特徴から、その職業や経歴を推理し、あっという間の事件解決へと一直線の道筋ができるからです。これは、コナンドイルも意識してそのように書いていたようです。


しかし、ワトスン博士によるモースタン嬢の描写は、いつもの人物描写と様相が違っています。ワトスン博士が一目ぼれをしている為に、詳細にわたり、モースタン嬢を観察しています。ただ、一目ぼれという瞬間湯沸かし器的な「恋の始まり」にブレーキをかけようと、否定的な見方もしています。誉めたり、けなしたりと感情の動きも忙しいです。


例えば、「ブロンドの若い女性で、小柄でなよやかなからだつきに、衣類の好みも上品であった」と持ち上げてみるものの、「しかし上品とはいっても質素であっさりとしているところからみて、さして裕福な家庭の人とは思えなかった」と、失礼な見方をしています。


そして、結局は、最大の賛辞ともいうべく「これまでに見た多くの国々や三大陸の婦人のうちでも、これくらい垢ぬけのした利発な顔をもつ婦人をわたしは知らない」と言い放つのです。


一方のホームズは、モースタン嬢に対して、淡泊そのものです。モースタン嬢を見送った後、ワトスン博士は、その美しさを絶賛します。ホームズは、「『そうだったかい、あの婦人が?僕はきづかなかったな』彼はパイプを口にし、椅子にもたれこんで、眼(ま)瞼(ぶた)をたれたまま、うるさそうにいった」。(同書 P25より)我関せずの態度です。


さらに、「『僕の見たうちで最も心をひかれた美人というものは、保険金ほしさに三人の子供を毒殺して、死刑になった女だった』」(同書 P26より)と、友であるワトスン博士の恋愛感情を否定します。


ひどい態度をとるホームズですが、最後には、いつも通り、ワトスン博士との名コンビで事件解決の帳尻を合わせます。人間臭いワトスン博士が、電光石火の推理のホームズを際立たせているといっても過言ではないでしょう。