takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

シャーロキアンのシャーロックホームズ:第9弾『最後の事件』

ロンドンでは葬儀まで行われた「最後の事件」でのホームズの死 

 

シャーロック・ホームズ物語を(中略)みんな読みたいという人には、なるべく(中略)発行順に読むことをおすすめする」。(『シャーロック・ホームズの思い出』の解説、新潮文庫コナン・ドイル著、延原謙訳 P348より)

訳者がいうまでもなく、ある作家の各品を発行順、つまり時系列的に読むことは、作者の成長ぶりや作風の変化―「シャーロック・ホームズもの」の場合は、事件の背景変化―がわかって、作品への共感を得やすいです。

私が、「作者の成長ぶり」を評価するに値するかもわかりませんが、特に、同世代の作家の場合、「一緒に歩み、成長できる」感が好きです。

「ホームズもの」の場合は、同時代作家ではないので、ホームズの時代時代の空気感を味わいながら、また、その活躍の華々しさを感じながら、ホームズと歩みを一緒にしながら、作品を楽しんでいます。

この楽しみは、時系列的に読まずとも味わえますが、やはり、時系列的に読んだ方がいいです。例えれば、前者は「つまみ食い読み」。後者は「フルコース読み」というべきです。

 残念ながら、私は「つまみ食い読み」をしてしまいました。そして、今回紹介する「最後の事件」を、「ホームズもの」の最終編と思い込みの勘違いをして、読んでしまいました。(今回ではありません、小学生時代最初にこの作品を読んだ時です)

「ドイルはこの一冊かぎりでもうホームズ物語を書かないつもりだった」(同書 P347より)と、「最後の事件」は、当初はまさに「最後の事件」となる予定。つまり、「ホームズもの」の最終編でした。

しかし、最終編としては、物語の終わり方が、勧善懲悪の探偵ものとしては、釈然としません。

例えば、ホームズ最大の敵を倒して、ロンドン、いや、ヨーロッパの平静を取り戻して、ホームズは人知れずこの世から消えてしまう。このような終わり方が、ホームズという我らがヒーローの去り方だと思います。ネタばれとなるので、終わり方の詳細は、割愛させて頂きますが、読み方によっては、「ホームズの完敗」との解釈もできます。だからでしょう。「この短編がひとたび発表されると、世評はごうごう、もっと書けとう哀願や脅迫やら、(中略)作者のことを人でなしとののしる投書まで舞いこむ始末だった」。(同書 P347より)

 このような背景もあり、コナン・ドイルは、56の短編と4つの長編と計60の「ホームズもの」を残しています。なんと、「最後の事件」は、31番目の作品。最後どころか、「円熟期に起こった事件」なのです。非難ごうごうのおかげで、私たち読者は、60もの「ホームズもの」を楽しむことができるのです。釈然としない終わり方も、こうなれば、シメタものですね。

 さて、私のこの作品評は、多少辛口になってしまいましたが、実は大好きな作品なのです。それは、風光明媚なスイスを舞台にしているからです。「深夜プラス1」(ギャビン・ライアル著)、「聖獣配列」(松本清張著)と並び「最後の事件」は、私がお勧めする「三大スイスもの冒険ハードボイルド」の一つです。釈然としない終わり方故に、かえって、ホームズに感情移入し、自分もスイスを冒険した気分になれるから、お気に入りの一遍です。

ちなみに、コナンドイル自身は、推理小説かではなく歴史小説家になりたかったようで、ホームズの人気が出ることをよしとしていませんでした。

世界で最も有名な探偵を生み出した作家は、その有名な主人公を好きではなかったようです。

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