takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

シャーロキアンのシャーロックホームズ:第8回『海軍条約文書事件』

シャーロック・ホームズもの」を読んで感じることの一つは、導入部の巧みさです。
読者を一気に物語にひき込みます。
『海軍条約文書事件』は、助手兼記録係であるワトソンの回想によって、始まります。  
「私の結婚直後の七月は、三つの興味ある事件があったので、私には思い出が多い」。 (『シャーロック・ホームズの思い出』の『海軍条約文書事件』新潮文庫コナン・ドイル著、延原謙訳 P261より)
所帯じみた文章で始まる『海軍条約文書事件』は、ワトソンの「ホームズ愛」を感じることができて、何とも微笑ましい気分になります。この文章の後に、ワトソンは、学生時代の友達で、保守党の大政治家ホルダースト卿を叔父に持つパーシイ・フェルプスの手紙を紹介することで、事件の幕を開けます。
「君の友人ホームズ氏を私のところへご同伴ねがいたいのです。(中略)私としてはこの事件に対する同氏のご意見をうかがってみたいです。(中略)この不安のなかにいる私は、一刻千秋の思いです」。(同書P263より)
 一刻千秋の思いで、ホームズの訪問を待っているフェルプスの手紙に、ワトソンは感動します。自慢の友人・ホームズは仕事好きなので、この仕事を引き受けることは、容易に想像できるし、そうなれば、ホームズの武勇伝の記録も重ねられて、ワトソンも嬉しい限りです。

「妻も一刻もはやく彼に事情を話したほうがよいと賛成してくれたので、私は朝の食事をすませて一時間とたたないうちに、早くもベーカー街のあのなつかしい部屋を訪れたのである」。(同書P264より)
 所帯じみて、「結婚しました」と世間に宣言しているものの、新婚の妻に関して言及している箇所は、冒頭の一文とこの文章のみです。「ベーカー街のあのなつかしい部屋」の主・ホームズを訪問する喜びの方が、新婚の喜びよりも勝っているようです。
「ワトソンは十七年間もホームズと仕事をし、一緒に暮らしていたというのだから、おそらく二人の間には、文章には記されてない何か微妙な心の通じ合いがあったに違いない」。(『シャーロキアンは眠れない』飛鳥新社小林司東山あかね著)

 この指摘のように、『海軍条約文書事件』の導入部を通じても、ワトソンの並々ならぬ「ホームズ愛」を感じることができます。青臭い表現ですが、「男の友情」に癒されながら、『海軍条約文書事件』の進展を楽しむことができます。
さて、フェルプスの手紙を読んだホームズは、電光石火の推理を働かせます。事件によって病気衰弱したフェルプスは、口述筆記にて、手紙を作成しています。
「女の筆跡だね。しかも珍しい性格の女だ。(中略)依頼人の身辺にはよかれ悪しかれ特殊の性格をもった人物がいるとわかれば、何かになるよ。なんだか面白くなってきた」。(同書P265より)
 阿吽(あうん)の呼吸です。ワトソンの期待通りにホームズは、事件に興味を示します。そして、筆跡を見ただけで、「依頼人の身辺にはよかれ悪しかれ特殊の性格をもった人物」に目をつけます。
ワトソン同様の「ホームズ愛」にかき立てられた読者を、一気に電光石火の推理の世界に引き込んでくれます。
 導入部の引き込みの強さは、「シャーロック・ホームズもの」に共通する魅力です。すなわち、それは、小説を読む醍醐味でもあります。

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