文鏡秘府論 ぶんきょうひふろん あれこれ
少し文学のことを書いてみたいと思います。
昔々あるところに~~~~
ではなく、私がまだ学生時代に和歌や古典文学に大変凝っていた時期がありました。
私自身は小学生のころから理系の学科が好きなこどもで、国語とか音楽、美術は嫌いだったのですが本を読むのは好きでした。
高校(高専)時代、芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外と始めてフランスやイギリス、ロシアの18,19世紀の小説に嵌まりました。
特に好きだったのはフランスの大長編小説です。
レ・ミゼラブルも、ジャン・クリストフも読みあさりました。
私は、工業化学科でしたから実験の授業がありました。
実験には待ち時間があります、ビーカーでコヒーを飲みながらビクトル・ユーゴーを読んでいました。
もちろん、シャーロック・ホームズやもっと古いシェイクスピアも読んでいます。
同時期、日本の古典文学にも凝り出しました。
最初は俳句、次は和歌、そして人形浄瑠璃です。
以下は、『曽根崎心中』道行の冒頭です。
此世の名残、夜も名残。死にに行く身を例うれば、あだしが原の道の霜。一足ずつに消えてゆく、夢の夢こそ哀れなれ。あれ数うれば暁の、七つの時が六つ鳴りて、残るひとつが今生の、鐘のひびきの聞き納め。寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり。
七五調の文章は美しいと思います。
日本語は単音節で、英語のようなリズムを取ることができません、それで言葉の数を合わせて七五調の文章を発達させたのでしょう。
(専門家がこのブログを読むとは思えませんが、間違いは指摘して下さい)
そんな素人の文学好きでしたが、国文学者の小西甚一博士の「古文研究法」(落陽社)を頼りに勉強していましたから、自然と小西甚一博士の本を読むようになりました。
これは、今でも手に入る超ロングセラーの参考書です。
普通の人が日本の古典文学をあるていど勉強するならこの1冊で十分です。
約60年前にでた本ですが、いまでもこれを超える本はないと思います。
その小西先生が弘法大師空海の「文鏡秘府論 ぶんきょうひふろん」を紹介しています。
私、若気の至りで購入しました。
だって、小西甚一先生は誉めています、山本健吉さんは「わが国の歌学・歌論の発達に寄与した役割は大である点まことに重要な書である。」とまで書いています。
我が国の国文学の泰斗である2人がそこまで言うのです。
これは購入するしかありません。
古本屋で見つけて30年も前ですが10万円を少し超えたはずです。
当時、江東区に住んでいましたが神保町から電車代がもったいなくて歩いて帰りました。全10冊の本を持って。
正直言います、読むことができませんでした。
一日辞書のと首っ引きになっても1頁程度しか読めないのです。
当時、工学部の学生でしたが「今まで古典文学を読んできたのは勉強では無かった」と思い知らされました。
微分方程式を10問解く時間で1頁しか読めないのです。
後に小西先生の『文鏡秘府論考 攷文篇』(講談社、1952年)を読んで、私程度の人間が手を出すべき本ではないことを教えられました。
ちなみに現在は漢文ではなく書き下した本が出ているようです。
ただし、現在の私はあのときのトラウマで手を出す気になれません。
皆さん、そんな経験ありますか?
私は、あの時ぐらい打ちのめされた経験はありません。