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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

航空機事故は、印象が大きい:テネリフェの悲劇

1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島テネリフェ島にあるロス・ロデオス空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員合わせて583人が死亡しました。死者数においては史上最悪の航空事故であり、死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇 / テネリフェの惨事 (Tenerife Disaster) 」とも呼ばれています。

 

私は、この事故の関する記事をこれまで2回書いています。

2013年3月27日

takumi296.hatenablog.com

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なぜ2回も取り上げたかと言うと、1つは、大きな事故だからです。でも、もう一つ理由があります。それは、お粗末なヒューマンエラーが根本の原因だからです。

これまで2回も取り上げましたが、今回は3回目と言うことで、別な視点も加えてこの事故のことを取り上げます。場所は、アフリカ大陸の左隣、地図で見ると以下の場所です。

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もっと拡大すると

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観光の島ですから、景色は素晴らしいです。

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島の面積と人口は、面積は2,034平方キロメートル、人口は90万人です。

参考までに東京都の面積は(2,190平方キロメートル)。

大阪府は、(1,905平方キロメートル)。

しかし、世界遺産が二つもあります。

 

  1. サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ - スペインが大航海時代に築いた美しい都市。ラ・ラグーナと呼ばれています。これが世界遺産
  2. テイデ山 - スペイン国内最高峰(3718m)。これも世界遺産です。

事故は、こんな島で発生しました。

前述しましたが、死者数は、583人、生存者は乗客54人と乗員7人です。

何しろ、ジャンボ機同士の衝突ですから、こんな大事故になったのです。

 

パンアメリカンパンナム)航空1736便は、ロサンゼルス国際空港を離陸し、米国を横断して、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港しています。機体はボーイング747-100型です。乗客380名、乗員16名が乗っていました。こちらは、生存者が61名。
 

 KLMオランダ航空4805便は、オランダからの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸しています。機体はボーイング747-200B型。乗客234名、乗員14名が乗っていました。生存者0名。
 

 どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン カナリア島のグラン カナリア空港(ラス パルマス空港)でした。
 

 最終目的地に近づく途中、パンナム機は、グラン カナリア空港(ラス パルマス空港)がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため、臨時閉鎖したと告げられます。パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機したいと申し出たものの、他の旅客機と同様に近くのテネリフェ島のロス ロディオス空港にダイバート(代替着陸)するよう指示されました。KLM機も同様の理由でロス ロディオスへのダイバートを指示されます。


 テロ事件の影響で、他の飛行機もロス ロディオスへ数多くダイハードしていましたから、ロス ロディオスは混雑しています。なにしろ、1941年開港の古い地方空港であり、1本の滑走路(ランウェイ)と1本の平行誘導路(タクシーウェイ)および何本かの取付誘導路を持つだけの規模で、地上の航空機を監視する地上管制レーダーはありませんでした。以下は、当時の空港を図で表したものです。

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 KLM機は、滑走路の反対側まで行ってから反転し離陸体勢に入りました。この時、管制官スペイン語訛りの英語で「OK・・・standby for takeoff ・・・・I will call you」と言ったのですが、濃霧の影響でノイズが多く「OK」以降を聞き取ることができませんでした。封鎖で足止めを食らい、乗務員も疲れていたかもしれません。また、これ以上遅れると連続勤務時間が一六時間を超えることになり、今日中にオランダに帰れなくなる可能性もありました。KLMオランダ航空には、クルーの職務時間の超過に関する規則があったのです。そのため、機長は遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性もあります。
 

 結局、KLM機は、離陸を開始します、濃霧のため滑走路の反対側からこちらに向かうパンナム機は見えません。スロットルを上げて離陸しようと走り出したときパンナム機が目の前に現れました。パンナム機は左の誘導路に逃げます、KLM機は上に飛び立って衝突を避けようとします。しかし、どちらも間に合いませんでした。KLM機はパンナム機を飛び越えようとして、高さが足りず天井にぶつかって反対側に落ちます。この衝突事故で583人の命が奪われました。
 

 KLM航空の機長は、パイロットのインストラクターでもあり、コックピットでは絶対の権力がありました。副操縦士も航空機関士もまだ離陸許可が得られていない状態なのに離陸を開始しようとする機長に異議を唱えることができません。命に関わることなのにです。憶測ですが、この機長はいつもシミュレータで訓練を指導していたのですが、そこでは管制官とのやりとりはありません。そのため、すぐに離陸する癖がついていたということも考えられます。

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生存者がいないのは、KLM機です。こちらは、10メートル程度ですが、飛び上がっていましたから、その高さから落ちたことになります。

パンナム機は、機体の真ん中あたりに体当たりされましたので、機体の先頭にいた機長などは助かっています。

 

この事故の後、管制室とパイロットのやり取りに関する言葉は厳格に決められ、それを遵守するように法改正が行われましたが、実際には守られていません。

その証拠に、2008年2月16日に新千歳空港で2機の航空機(747とMD-90)が滑走路上でニアミスするというテネリフェ事故と全く同じ大惨事寸前の状況が発生しました。

新千歳空港は、 航空自衛隊千歳基地と隣接しています。そのため、管制は航空自衛官によって行われています。本事例の管理官は当時25歳でしたが、調査時のインタビューではテネリフェのジャンボ機どうしの衝突事故を知らないといったそうです。

しつこいですが、テネリフェの衝突事故時の管制官は、tandby for take off (離陸に備えよ)”と言ったのが、機長は離陸許可に聞こえてしまいました。

そのときの事故以来, Take offは離陸許可以外に使わないことが勧告されました。しかし、航空自衛官には伝達されなかったようです。

こんな事故は、何時また起きるか分かりません。