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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

『プルーストとイカ』-2

やっと本題に入ります。

この本のサブタイトルは、「読書は脳をどのように変えるのか?」です。

おそらく、このサブタイトルが無ければ何の本なのか分らないだろうと思います。著者は、メアリアン ウルフ博士は、タフツ大学の「読字・言語研究センター」の所長という肩書きをお持ちです。専門は小児発達学部で、もっぱら「ディスレクシア」の研究にとりくんできた科学者です。また、ウルフ博士の子供もディスクレシアであるということです。

この本は、三部構成です。

第Ⅰ部:脳はどのようにして読み方を学んだか?

第1章~3章

第Ⅱ部:脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?

第4章~6章

第Ⅲ部:脳が読み方を学習できない場合

第7章~9章

全350頁弱です。

ずばり言います、第9章:結論-文字を読む脳から”来るべきもの”へ

が最高に面白いと思います。

科学的な知見はあちらこちらに散りばめられて事例として紹介されていますから、どこを読んでも「へ~!」となるでしょう。浅学な私には驚きの事例ばかりでした。

しかし、「へ~!」よりも「なるほど、そういうことか」の方がスッキリします。本を読んだ甲斐があるというものです。はてなの皆さんはまだ若い方が多いと思います。しかし、私のように50歳を過ぎると「死ぬまでに後何冊読めるか」が気になります。ですから読んで良かったと思える本に出会いたいのです。仮に今年からまた努力して年間70冊読んだとしても、男の平均寿命まで(80歳として)後、27年しかありません。27年×70冊で1890冊です。途中で頭が惚けた場合、もっと少なくなります。無駄な本は1冊も読むことはできないのです。

と、思っているとウルフ博士に叱られます。

少し長いのですが引用します。(太字強調は私、匠です)

 

 現に、私たちの脳には、「遅延ニューロン」というものがある。その役割はただひとつ、他のニューロンの情報伝達速度をほんの数ミリ秒だけ遅らせることにある。私たちが直感的に把握した現実に順序と優先順位を与えて、サッカーの動きや調和のとれた運動を計画したり、同調させたりできるようにしてくれるこの数ミリ秒が、計り知れないほど貴重なのだ。
〝より多く〟、〝より速い〟はうが絶対によいという前提には、大いに疑問を抱くべきだ。アメリヵ社会では、この前提がすでに食や学習方法をも含めたあらゆるものに影響をおよぼし始めているうえに、その恩恵のほどは疑わしいのだから、なおさらである。たとえば、アメリカの子どもたちはもう、変化の加速化を体験しているわけだが、この加速した変化は、単語を思考に変え、思考を想像したこともないような可能性が詰まった世界に変えることのできる注意のあり方に、根本的な影響をおよぼす結果をもたらすことにはならないか? 次世代を担うこの子どもたちの、音声言語と書記言語に洞察と喜びと苦悩と知恵を見いだす能力が、激変してしまうことにはならないか?
 子どもたちと言語との関係が根底から覆ってしまうのではないか? 現代の人々がコンピュータの画面上に表示される情報にすっかり慣れてしまったら、文字を読む脳が今備えている一連の注意・推論・内省の能力は、あまり発達しなくなるのではないか? だとしたら、これからの世代はどうなる? 
 指導のないままに情報にアクセスすることに対してソクラテスが抱いた懸念は、古代ギリシャよりも今の時代にあてはまるのではないだろうか?それとも、多重課題(マルチタスク)をこなし、膨大な量の情報を統合して優先順位をつけるために私たちが求めてやまない新しい情報テクノロジーは、今のスキルより貴重とは言わないまでも同じくらい大切な新しいスキルの発達に役立ち、そのスキルが人間の知的能力や生活の質、種としての衆知を向上させてくれることになるのだろうか? そうした形で知能が加速化すれば、内省と人類にとって望ましい結果の追求とに割ける時間が増えてくるのだろうか? その場合、この新たな一連の知的スキルは、現在のディスレクシアのように、普通とは異なる回路をもつせいで社会的に公認されない子どもたちの新たな集団を生み出すことにはならないだろうか? あるいは、そうなった以上は、脳の編成パターンの相違による子どもたちの学習能力の差を、長所も短所ももたらす遺伝的変異(訳注‥個人間のDNA配列の違い) のせいだから仕方がないと考える覚悟ができてしまうのだろうか?ディスレクシアは、脳がそもそも、文字を読むように配線されてはいなかったことを示す最もよい、最もわかりやすい証拠である。私はディスレクシアを、脳の編成がまったく異なったものになりうることを日々の進化のなかで思い出させてくれるものだと考えている。
 文字を読むには不向きでも、建築物や芸術作品の創造やパターン認識に不可欠な編成もある。パターン認識の舞台が古代の戦場であろうと、解剖のスライドの上だろうと、変わりはない。脳の編成のこうしたバリエーションのなかには、近い将来、さまざまなコミュニケーション様式の必要条件となるものもあるかもしれない。
 この21世紀に入って、私たちはほとんどの人が予測どころか、きちんと理解することもできないような形で、重大な変化を急激に遂げようとしている。本書において、文字を読む脳の進化と発達とさまざまな編成の中心テーマとしているのも、この歴然とした推移感である。書字の進化と文字を読む脳の発達は、種として、数多くの音声・書記言語文化の創出者として、また、拡大を続ける多様な知能の形体を備えた個々の学習者としての自分自身を覗ける素晴しいレンズであるからだ。

「 ~ではないだろうか?」と言う仮定疑問文が多くて読みにくいとも言えます。私は、仮定疑問文を使いません。まあ、これは翻訳者の責任でしょう。ですが、数回読めばウルフ博士の言いたいことは分ると思います。

 こんな結論に出会って、私はやはり考えさせられました。引用が長かったので、明日もう一度、この本のことを書いて終わりにします。