takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

生きているもの(生物)-6

今回は、少し違うお話です。少し飛ばして13章の「言語の起源」について話しましょう。

 ジョン M スミスは、こう書いています。

 過去20年間、言語には強い遺伝的な要素があるという確信が育ってきた。ある意味でわれわれの言語能力は生まれつきのものなのだ。人間は話すことができるが、類人猿にはできない。そしてその理由は、われわれが遺伝学的に違っていることにある。けれども言語が生まれつきの(生得的な)ものだとしても、それには二つの形がある。われわれはただ一般的に類人猿よりも知的であって、話す能力はこの事実の一つの副産物にすぎないのだろうか。あるいは、そしてこの方がありそうなことと思うのだが、脳にはコンピューターの「言語のチップ」に似たような特別の「言語の器官」があり、この器官はある程度までハードとして配線されていて、そこでは神経連絡の一部分が、外からの刺激がなくても正しく設定されているのだろうか。
 言語理論の革命は大部分がノーム チョムスキーとその学派によるもので、そこから三つの主要な洞察が得られた。

1)自然言語ハンガリー語とか英語等は、それぞれ一定の一組の規則がある。これらの規則を適用することによって、その言語でのあらゆる可能な文法的な文を生成することができる。この規則をまとめた表は生成文法と言われる。
2)人間の子どもは、どんな遺伝的な起原をもっていようと、どの言語でも学ぶことができる。大人についても、程度は劣るが、その人がすでに母国語を学んでいる限り、同様なことがき言える。つまりどの特定の生成文法とも取り組むことのできる一般能力があるわけで、これは「普遍文法」と呼ばれる。
3)普遍文法は強い生得的な成分をもっている。

 

 実に不思議な話です。言語の器官と言うものがあるとすれば、その器官はどうやって進化してきたのでしょう。この分野の研究はあまり進んでいません。学生さんで興味のある方は少しだけ調べてみてはいかがでしょうか。一生掛かるかもしれませんが、素晴らしい研究成果がでるかもしれません。ノーベル生理医学賞だって狙える分野です。
 例えば、たぶん我々の祖先が絶滅させたネアンデルタール人は、言語を使っていたのでしょうか?この答えも出ていません。言語は化石になりませんから、言語を使用していたとしてもその痕跡を見つけるのは難しいでしょう。また、当然かもしれませんが、「文字」は言語よりもだいぶ後に発明されています。文字が無いことと言語を使用していないことはあまり関係が無いのです。ちなみに、現代でも文字を持たない部族というか民族はあります(アフリカ、南米など)。

 ところで、上記に出てきたノーム チョムスキー教授ですが(マサチューセッツ工科大学言語学および言語哲学の研究所教授 (Institute Professor) 兼名誉教授で、50年以上在籍しています)、彼は不連続性理論の卓越した唱道者です。そのため、「言語の起源」という問題に関して彼は学者の中で孤立しています。チョムスキーの説明はこうです。

 

約10万年前に言語機能(心―脳の構成要素)が「瞬間的に」「完全」もしくは「ほぼ完全」な形で出現するような進化、言い換えると一度きりの突然変異が霊長類の一個体に起こった。言語器官は1回きりの偶然の変異が生み出したものなのだ(不連続性)。

 

 

 学者は、偶然とか1回限りの変異というような証拠を出せない説明を嫌います。ホントにその通りなのかもしれませんが、普通はそう言いません。ですから、チョムスキーほどの学者でも賛同する人がいないのです。ただ、これが本当だとすると長い時間のなかでは、犬や猿も突然言語器官を持つこともあり得ます。人間が偶然に手に入れたのですから、他の動物だって可能性はゼロではありません。

 しかし、人間以外の動物は、解剖学的に言語を発することはできません。医学的に言う「口蓋垂」俗に言う「喉ちんこ」を持つのは人間だけです。あれがないと言語を発生させることはできないのです。やはり、チョムスキーの非連続な突発的突然変異には無理がありそうです。言語器官を偶然手に入れた動物が、言うに言われぬ自分の思いを地面に文字で書き連ねたらさぞ面白いでしょうが、どうやらそれはなさそうです。