takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

倫理問題を考えよう:カンビュセスの籤-2

 この物語の問題を要約すると、人を食べてでも生き続ける意味はあるのか?と言うことです。籤を引いて1人を選んで特殊な機械に入れて人間を食料にする。残った人間はそれを食べて栄養を蓄え、冬眠に備える。その冬眠は1万年に及び、地球外知的生命の助けを求めるためのものです。「冷たい方程式」と同じで、科学的には荒唐無稽で無理がありすぎます。電波をキャッチしてくれる知的生命体は、宇宙のどこかには存在するでしょう。しかし、助けに来てくれるかどうかは全く分りません。時間で考えても、1万年や10万年の単位では無理だと思います。

 逆の立場で考えて見ましょう。例えば、地球から1000光年先の惑星からSOS信号があったとして、どこの誰とも知らない宇宙人のために巨大宇宙船を作って助けに行こうと考えますか?そもそも、「SOS」をどう伝えるのですか?

 科学技術は発達していると言いますが、木星土星に行くことでさえ22世紀中でも無理だと思います。もっと近い火星でさえ、21世紀中に行けるかどうかはっきりしません。1000光年先では、光の速さの100分の1(秒速3000キロメートル)が達成できても10万年掛かります、往復では20万年です。それでも、助けに行きますか?

 次に、生きる意味の問題です。私達は多かれ少なかれ何かの犠牲の上で生きています。例えば、先進国で暮らす私達日本人は、途上国の人たちを犠牲にしています。また、私は、事故や災害に関して色々調べていますが、それは、過去の事故や災害で犠牲となって亡くなった方達の死を無駄にしたくないと考え、そこから得られる教訓を広く伝えたいと思っているからです。言い換えると、過去に災害事故で亡くなった人の犠牲の上で現在の安全対策がある訳です。

 ですから、広い意味では誰でも常に誰かの犠牲があって生きています。しかし、人を食べても生きるか?と問われると「そうだ」とは言えません。それは、一線を越える行為です。もちろん、極限状態の中でそうなってしまった人を全て非難するとは言いません。頭が惚けると食糞することがあるらしいですが、様々な状況の中で極限状態まで追い詰められた時、理性を保てるのか私は分りません。しかし、「カンビュセスの籤」はそういった状態ではありません。これまで、23万年だめだった、地球外知的生命体の応援は、最後の1万年で本当に来るのでしょうか?

 物語の最後に、エステルは自ら人間をミートキューブに加工する機械に入るのですが、納得していないサルクがそれを食べるかどうか分りません。と、いうより食べないでしょう。この施設に集まった人たちは全員が顔見知りだったようですが、それを順番に食料にして食べ続けて来た時点ですでに思考回路がおかしくなっているのかもしれません。しかし、作者はそこに触れていないので、そこは何とも言えないのです。

 続きます。

 


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