takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

倫理問題を考えよう:臓器くじ問題

 臓器くじ問題は、様々なところで議論されているのですが、「Wikipedia」に上手く纏められていましたので、先ずそれをご覧下さい。

以下は、Wikipedia」から文章は語尾を変更し、一部略しています。

 

  •  臓器くじ問題は、倫理学者のジョン ハリスが提案した思考実験です。日本語圏では「サバイバル・ロッタリー」とカタカナ表記されることも多いようです。
    「人を殺してそれより多くの人を助けるのはよいことだろうか?」という問題について考えるための思考実験で、ハリスは功利主義の観点からこの思考実験を検討しました。

    「臓器くじ」は以下のような社会制度を指します。

    • 公平なくじで健康な人をランダムに一人選び、殺します。
    • その人の臓器を全て取り出し、臓器移植が必要な人々に配ります。
    • 臓器くじによって、くじに当たった一人は死にますが、その代わりに臓器移植を必要としていた複数人が助かります。このような行為が倫理的に許されるだろうか、という問いかけです。


     ただし問題を簡単にするため、次のような仮定を置きます。
     くじに不正行為が起こる余地はありません。
     移植技術は完璧です。手術は絶対に失敗せず、適合性などの問題も解決されています。人を殺す以外に臓器を得る手段がない。死体移植や人工臓器は何らかの理由で(たとえば成功率が低いなど)使えません。

    議論

    • 事故にあって死ぬことよりも積極的に殺すことのほうが罪が重い。
    • 反論:臓器が必要な人をそのまま死なせるのは見殺しにするのと同じことであって、移植しようがしまいが殺すことに変わりないのではないか。
    • 臓器が必要な人をそのまま死なせることは消極的に殺すことであり、健康な人から臓器をとるのは積極的に殺すことであり、その意味は当然異なる。
    • 反論:過程がどうであれ、最終的に多数の命を救う事に比べれば、一人の犠牲に対する意味の違いなどは大きく取り上げることではないのではないか。
    • いつ臓器を奪われるか分からない状況に怯えることになる。
    • 反論:多数の人から無作為に選ばれるならば病気や事故に遭って死ぬ確率がごくわずかに増えるのと同じことであり、それを受け入れるのであれば臓器の移植を受け入れない理由はないのではないか。
    • 生死は天命によるものであって人が誰が死ぬべきかを決めるものではない。
    • 反論:臓器を移植せずに死なせることも同じように誰が死ぬべきかどうかを決めることではないか。
    • こうした社会制度の下では、臓器を提供する側から除外されるよう人々が競って不健康になろうとするというモラル・ハザードが起きるのではないか。
    • 反論:不健康になれば自身が病死する確率も高まり、また、臓器を提供することのできる人間の基準が引き下げられるであろうため、長期的に見れば自身の健康をあえて損なうことの意味自体が薄れるのではないか。
    • 臓器提供はしたい人がやればいいのであって、籤だからといって臓器を提供したくもない人が強制されるのは人権侵害ではないのか。
    • 反論:緊急避難の考え方を社会全体に適用できないか。死ぬ人数が少ない方が、より多くの人権を保護することになるのではないか。
    • 臓器移植を必要とする人を助ける方法は他にもあるのではないのか。
    • 反論:思考実験の内容として「死人の臓器や人工臓器では代替できない」とある。
    • 社会全体としては、臓器移植が必要な重病人数人の生存よりも、健康な人間一人の生存のほうが有益なのではないか。
    • 反論:健康な人間一人が社会全体に与える損益は、その個人の生命活動そのものとは無関係なのではないか。また、移植を受ければ健康状態は格段に改善する。
    • 臓器くじに超一流の芸術家やスポーツマンが当たった場合どうするのか。
    • 反論:臓器をもらう側も超一流の芸術家やスポーツマンである場合もあり得るし、提供する側が凶悪な犯罪者である場合もあり得る。

     

 感覚的に、このくじ引きは良い制度だと思う人はいないと思います。上記の反論部分を読んでも「そうか、なるほど」と思う人はあまりいないはずです。ようするに、5~7人ぐらいの人を助けるために1人の人間を殺すことは許されるのかどうかという問題です。功利主義の立場に立てば良しとするしかないと思いますが、そもそも日本人はあまり功利主義の考え方をしません。

 このくじ引きが許されるなら、遭難などの極限状態の時、くじ引きで犠牲者を選び殺して食料にすることも許されるはずです。しかし、現実に世界の中の様々な場所でこの事件は発生していますが、殺して食べた(死んでいた場合でも)人間を明確に許したことはありません(註)。

註:ひかりごけ事件(1944年、日本)、ミニョネット号事件(1884年、英国)、ウルグアイ空軍機571便遭難事故(1972年、アンデス山脈)など。

 

 以前にも書きましたが、私自身は健康保険証の裏側にある、「臓器提供」の意思表示に〇を付けています。言ってみれば「死んだら部品はご自由にお使い下さい」と言うわけです。日本の場合、どうせ燃やしてしまうのですから、使えるものは何でも使えば良いと思っています。しかし、それはあくまで死んだ後の話です。いくら臓器が欲しくてもそれは待って貰うしかありません。それに、提供される側にしても、「殺して持ってこい」とは考えないはずです。

 明日は、この問題にもう一つ条件を増やして考えてみましょう。その条件とは、くじ引きは、私のような50歳以上の人間だけとします。また、臓器を提供されるのは20歳以下の若い人とします(実際には無理ですが、子供にも提供できるとしましょう)。明日まで考えて下さい。