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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

エンジニアは、哲学の夢に魘(うな)される-6

書評 日常

 今回は、フリードリッヒ ニーチェ(1844年10月~1900年8月)です。知名度で言えば世界の哲学者の中でもトップクラスでしょう。著作も有名です。以下主要なものを年代順に並べると。

『反時代的考察』(1876年)
『人間的な、あまりにも人間的な』(1878年
『悦ばしき知識』(1882年)
ツァラトゥストラはかく語りき』(1885年)
『悲劇の誕生』(1886年
『善悪の彼岸』(1886年

 と、なっています。と言うよりも、私が読んだのはこれだけです。主要なものは文庫本で読めますし、図書館にも置いてありますから、お金を掛けずに学ぶことができます。この上記6冊の中でも最後の『善悪の彼岸』は面白さが格別です。まさにニーチェらしさ大爆発という本です。中身をご紹介しましょう。

自由意思
 私はあるちょっとした単純な事実を、何度でも飽きることなく強調したいのだ。(中略)それは思想というものは「それ」が欲するときだけにわたしたちを訪れるのであり「われ」が欲するときに訪れるのではないということだ。

  

 ニーチェは、この本の中で善と悪について考察しています。過去の哲学者や宗教家達は、批判的精神が欠けたまま道徳について考察していると主張し中でも、カントとルターを何度もやり玉にあげて批判しています。たとえばカントは、道徳的「定言命法」を説くために科学的手法を用いたかのように装っているが、掃いて捨てるほどいる「年老いた道徳学者や道徳の説教師」の一人にすぎないと批判しています。

 ただ、誤解しないで頂きたいのですが、ニーチェは善そのものを批判しているのではありません。伝統的な道徳性を、排し進むという意味で、「善悪を超えた(の彼岸にある)」領域へ進むべきと言っているのです。ニーチェが批判の対象にしているのは、あくまで伝統的な道徳性なのです。

 と、ここまで書いて上手く説明できていないですね、実は昨日少し飲み過ぎて頭が回っていません。これ以上変なことを書くとニーチェに怒られそうなので今日はここまでにします。