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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

漱石を読もう-明暗

 夏目漱石は、最終回です。私の独断で選んだ漱石文学の最高作は、「明暗」です。

「三四郎」を最高とするか、「明暗」を最高とするかは迷いました。まして、「明暗」は、絶筆となっていますから未完成です。実際のところ、最後が詰まらない作品になるかもしれません。しかし、夏目漱石の大ファンとしては、途中までよかったのだから最後はさらに良くなる(盛り上がる)ものと期待して「明暗」を1位としました。

「明暗」は、大正5年(1916年)5月26日から同年12月14日まで朝日新聞紙上で連載され、漱石が病没したため188回までで未完となりました。また、未完の小説のまま大正6年(1917年)に岩波書店から刊行されています。

 

 あらすじ

 津田由雄は、父が各地を転々とする官吏生活をしていたため、父の弟である東京の叔父藤井に育てられました。今は父の旧友で、津田夫婦の仲人でもある吉川の会社へ勤めていました。
 津田はかつて、吉川夫人から清子を紹介されています。彼は清子と交際しているうちにすっかり結婚する気になっていました。ところが、清子は突然津田から離れ、他の男と結婚してしまったのです。津田は、その後、夫人によって世話されたお延といっしょになります。彼はぜいたくな生活をしながら、月々の暮らしの不足分を、今は京都に定住した父から送ってもらっていました。
 そんな津田が、痔の手術のため、入院することになります(漱石本人も痔の手術を受けています)。必要な金を父に融通してもらおうとした津田は、父からの手紙でそれを矩絶されます。それというのも、毎月補ってもらっていた金を、盆暮れの賞与で返済するという父との約束を果たさなかったからでした。津田はお延に、彼女を育てた叔父である岡本から借りられないかと聞きますが、お延は、岡本に対する体面を失いたくないという気持ちから首を横に振りました。
 そして金の工面がつかないまま、手術の日が近づきます。いよいよ入院することになる前日、津田は、「病気の報知傍(かたがた)無沙汰見舞」に藤井の所に出かけます。そこで津田は、学校時代の友人小林に会い、「よく病気をするのは、するだけの余裕があるからだよ」と揶揄されます。
 翌日入院して手術が済むと、津田の入院をお延から知らされた妹のお秀が神田から見舞いにやってきます。姑、小姑などをかかえた嫁ぎ先で苦労をしてきでいるお秀には、派手好きな性絡のお延は気に入らない存在でした。また、そんなお延に甘い態度をとっている兄をふがいないとも感じていました。お秀は、津田が父に約束の金を返せないのも、つまりは、お延の派手な性格によるものに違いないと解釈していたのです。しかし、それは津田が妻への虚栄心から、妻に内状を打ち明けなかっただけのことでした。
 それを知らないお秀は、お延を甘やかしているとしか見えない兄の態度を改めさせようとします。そこへお延がやってきます。すでに兄と口論して興奮気味のお秀は、金を貸す代わりに津田に心を入れ替えてもらいたいと迫ります。お延は自分に当てつけがましく兄を責めるお秀を見て、岡本からもらってきた小切手を出し、お秀の金を断わります。そうしたお延の態度にお秀はいっそう怒り、金を無理に置いて帰ってしまいます。
 翌日、津田の所へ吉川夫人が訪れ、清子が流産後のからだを回復させるためにある温泉場に一人で居ることを知らせます(この吉川夫人は、本当にお節介な人ですが、読んでいるとこういう小母さんいるな~と思ってしまいます)。そして、病後の療養という名目で津田にもそこへ行くよう勧めます。清子への未練を消すことのできなかった津田は、その気持ちに決着をつけるために清子と会うことを決心し、退院すると東京を発って温泉場へ向かいます。温泉場で清子に会った津田は、清子がなぜ急に自分を離れたのか知ろうと心をくだきます。
 

 と言うところで絶筆です。
 

 全体の長さは想像するしかありませんが、おそらく、後半が始まったところで絶筆となったはずです。ここから、二転三転はないはずです。ですから、読んでいると、「ここまできて終わりかよ~」と思ってしまうのですが、漱石だって死にたかった訳ではありません。本当に悔しいのですが、漱石はもっと悔しいはずですから、作者の無念を思って諦めましょう。まして、現在の私は、49歳で亡くなった漱石よりも長生きしています、文句は言えません。
 この明暗の結末は、文学者の水村美苗さんが、「続明暗」と言う作品で予測しています。漱石の文体も上手く真似た作品ですが、やはり違和感はあります。特に、友人である小林は別の人間かと思うほど、人物描写が異なっていました。しかし、後半にお延を温泉場に来させて、お延中心に話を進めたところは、評価に値します。それ以前に、明暗の結末を予測した学者はいますが、知っている限り清子が中心でした。私は、「明暗」の主人公はお延だと思っていますから、清子が中心になって話が進むとそれだけで「それはないだろう」と思うのです。
 津田の妻であるお延は、夫に愛されたいと強く思っている女性です。そのため、本当は行きたくなかった岡本へも行って、津田に言われた通りお金を借りてきます。津田の妹お秀は、お延を派手好きと評しますが、それも夫の経済状態は知らず、ただ、夫のために身ぎれいにしているだけです。夫のために、つくす女(妻)を演じつつその見返りとして、夫の愛が欲しいのです。しかし、夫の津田は、妻が夫のために働くのは当たり前だと思っています。極めて利己的ですが、そこに疑念を持っていません。言い換えると、夫婦がお互いに相手を愛するよりも相手に愛されることを求めているとも言えます。

 清子は、津田のそんなところが嫌で去ったのだと思うのですが、その辺りは分かりません。ただ、清子が津田に救いを与えるとなると清子が主人公になってしまいます。漱石は、「明暗」の前に「道草」の中で最後に「世の中に片付くなんてことは殆どありゃしない」と主人公の健三に語らせています。片付かないことを片付けようとしてもがいた漱石ですから、「明暗」の中でも片付かないことを必死に、まさに命を懸けて書いています。「明暗」は、そんな漱石の苦しい思いが一杯詰まった名作です。