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takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

漱石を読もう-吾輩は猫である

 すみません、最初に書いたとき題名を間違えていたようです。「わがはい」は、「我輩」と書くのは間違いです。「吾輩」と書くのが正しく、「ねこ」は「猫」が正解です。従って、夏目漱石が書いた小説の題名は「吾輩は猫である」が正しい題名です。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈は記憶して居る。」

 この有名な書き出しで始まる小説は、神経衰弱に悩む漱石の気晴らしになるだろうと考えた友人で俳人高浜虚子の勧めにより、明治37年(1904年)に書き始められました。発表は、明治38年1月の俳句雑誌「ホトトギス」です。

 最初は、1回だけの読み切りの予定で書かれたのですが、非常に好評を得たため高浜虚子は、漱石に続きを書くことを勧めます。結果、翌年8月まで全11回連載し掲載誌であった「ホトトギス」も部数を大幅に伸ばすことができました。「ホトトギス」は、元々俳句の雑誌でしたが、このことで有力な文芸誌になったわけです。

吾輩は猫である」の特徴として、第2話以降「吾輩」は、仲間の猫(二弦琴の御師匠さんの飼い猫「三毛子」や、車屋の黒猫「黒」)とは付合うことをせず、もっぱら人間達とばかり付合います。また、古典落語のパロディが作中に何度か出てきます。例としては、第5話の、窃盗犯に入れられた次の朝、苦沙弥夫婦が警官に盗まれた物を聞かれる件は、「花色木綿(出来心)」のパロディです。

 ところで、「吾輩は猫である」は、神経衰弱を紛らわすための執筆でしたが、実はその少し前に漱石は「自転車日記」と言う随筆のようなものを「ホトトギス」で発表しています。ロンドンに滞在中の漱石は、友人の勧めに従い自転車乗りの稽古をします。その顛末を綴ってある意味、自分を道化に仕立て自分で自分を嗤いながら気を紛らしているのです。

 長くなるので引用はしませんが、「自転車日記」の漱石は、諧謔を楽しみながら自分を滑稽に見せようとしています。まさに、「吾輩は猫である」の珍野苦沙弥先生を彷彿させる滑稽さです。このブログを読む方で国文学専攻の学生さんはいないと思いますが、漱石の論文を書くなら「自転車日記」もぜひ参考にして下さい。

 さて、「吾輩は猫である」の中で、自己を相対化し猫の眼を通じて人間社会を辛辣に批評した漱石ですが、珍野苦沙弥先生もまた、漱石の分身の一人です。ですから、苦沙弥先生と猫は、直接関係する場面があまりありません。それでも、猫は苦沙弥先生をこんな風に評しています。

 吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師ださうだ。学校から帰ると絡日書斎に這入つたぎり殆んど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思つて居る。営人も勉強家であるかの如く見せて居る。然し実際はうちのものがいふ様な勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をして居る事がある。時々讀みかけてある本の上に涎をたらして居る。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活発な徴候をあらはして居る。
 其癖に大飯を食ふ。大飯を食つた後でタカヂヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ讀むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。是が彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考へる事がある。教師といふものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。

 自分の分身である猫に、これもまた自分の分身である苦沙弥先生を面白可笑しく評価させて、漱石はそれを楽しんでいます。しかし、「吾輩は猫である」は回を重ねる毎に、自己本位に生きることの難事を猫や苦沙弥先生に語らせます。ですから、落語的面白さを含む小説の中に時々、重苦しい辛辣な社会に対する批判、あるいは、文明批判が顔を出します。しかし、そこまで触れるのは止めておきます。私の手に負える話ではありませんし、本を1冊書くぐらいの覚悟で書かなければなりません。