takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

漱石を読もう-坊つちゃん

 昔の学園ドラマは、坊つちゃんが原型でした。

 村野武範さん、中村雅俊さんのドラマです。熱血教師、マドンナ代わりの女教師、小狡い教頭とその腰巾着(赤シャツと野だいこ)、悪戯好きの生徒達。

 どこで読んだか忘れましたが、漱石の文庫本で一番売れているのは「坊つちゃん」だそうです。人物描写は極めて滑稽であり、義理人情、暴力沙汰、痴話話と受けるテーマが満載ですから他の小説より遙かに取っつきやすい作品です。

 

 あらすじは、以下のようなお話ですが、ご存じの方も多いでしょう。

 

 親譲りの無鉄砲で小供の頃から損ばかりしている坊っちゃんは、面白いほど、腕白な少年時代を過ごします。母が死んでから、おやじは兄ばかりを可愛がって、坊つちゃんを持て余していました。しかし、下女の清だけは、「あなたは真っ直でよい御気性だ」と誉めてくれます。
 その後、父親とも死別し、親の残した遺産は兄が管理することになります。坊ちゃんは、兄から渡された父の遺産の内の600円を学費に東京物理学校(現在の東京理科大)に入学します。
 卒業後8日目、母校の校長の誘いに「行きましょうと即席に返事をした」ことから清と別れて、四国の旧制中学校に数学の教師(月給40円)として赴任します。
 新しい学校では、校長を狸、教頭を赤シャツ、数学主任を山嵐、英語教師の古賀をうらなり、画学教師の吉川を野だいこと、さっそく渾名をつけます。
 生意気な生徒を相手に、江戸弁で授業しているが、そのうち学校に飽きてきます。ある日、蕎麦屋で天ぷらを4杯平らげると、天ぷら先生とからかわれ、赤手ぬぐいをぶら下げて温泉に行くと赤手ぬぐいが評判になります(要するに閑なんでしょう)。
 その内、教頭の赤シャツとその腰巾着の野だいこが裏で糸を引く学校人事の策略の中に坊ちゃんも翻弄されます。最後は、赤シャツと野だいこに鉄拳制裁を加えて、教師を辞任し東京へ帰ります。その期間わずか1ヶ月。坊つちゃんは、一月だけ教師生活を送った訳です。東京へ帰った坊ちゃんは、路面電車鉄道の技師(月給25円)になります。

 作家は「作物によって凡人を導き、凡人に教訓を与ふるの義務」を自覚せねばならず、「世間の人々よりは理想も高く、学問も博く、判断力も勝れて居らねばならない」と漱石は信じていました。ですから、漱石は士君子として作品を書こうとします。最近の作家でこんな考えを持つ人は、ほとんどいないと思いますが(ゼロだと思っています)、漱石は強く思っていたのです。「だいたいのところ」で、「いい加減に生きる」ことができず、気が狂うまで日本人の自己本位の弱さに悩んだ漱石です。しかし、この「坊つちゃん」においては、見事に腕白な正義感に勝利を与え、痛快な読後感を読者にもたらします。素晴らしいの言に尽きますが、現実世界ではこれで終わりません。若しかしたら、坊つちゃんは傷害罪で逮捕されるかもしれません。物語がそうならなかったのは、それでは物語が終わらないからです。

 

 漱石は、「坊つちゃん」を書いている頃のノート(備忘)にこう書いています。「善人は必ず負ける。君子は必ず負ける。徳義心のあるものは必ず負ける。清廉の士は必ず負ける。醜を忌み悪を避ける者は必ず負ける。礼儀作法、人倫五常を重んずるものは必ず負ける。勝つと勝たぬとは善悪、邪正、当否の問題ではない-Powerである-Willである。」

 

 激しい言葉ですね、こう考えながら単純な正義感である、坊つちゃんに勝利を味あわせて東京へ帰らせるのです。

 ちなみに、「坊つちゃん」が書かれたのは、「我輩は猫である」の最終話を書き上げて直ぐの時です、ですから発表された日は「猫」が終わる前になっています。「猫」を書きながら「坊つちゃん」の構想は出来上がっていたようで、短い小説ではありますが、一気に書き上げています。書いている漱石も痛快だったのでしょう。しかし、単純な正義に単純な勝利をもたらした漱石はこの後苦しみます。「猫」、「坊つちゃん」が発表されたのは、明治39年(1906年)ですが、それから明治41年(1908年)に「三四郎」を発表するまで「草枕」「二百十日」「野分」「虞美人草」「坑夫」とあまり感心しない作品が続きます。ある意味、漱石のスランプ期間がこの2年です。