takumi296's diary

技術士・匠習作の考へるヒント

夏目漱石を読もう-行人(こうじん)

彼岸過迄」が「朝日新聞」で連載完結したのは、明治45年4月29日でした。漱石は続いて同年の大正元年の12月6日から翌大正2年年11月15日にわたって「行人」の連載を開始しました(明治45年は、7月30日に大正元年となります)。途中、激石が三度目の胃潰傷で倒れたために、約五か月間の中断がありました。 この作品は男女の自我の確執と衝突を基軸として、「家」の中で孤独に陥ってゆく一郎の姿を、心理的にも、また倫理的にも追求していったものであると考えることができます。
 また、「彼岸過迄」は、6部プラス1部の構成となり、第一部は異様に無駄な話になっているのですが、「行人」ではその失敗は繰り返されていません。「行人」の第一部は、物語の主要人物が出揃い、有機的な繋がりを読者に伝える働きがあります。「三四郎」の冒頭部分とは言いませんが、物語の書き出しとしては上手く行った方だと思います。

 物語の語り手は、長野一郎二郎兄弟の弟である二郎であり、「行人」は4部構成になっています。
第一部:友達
 物語の主要人物が顔合わせします。長野二郎は、友人三澤と旅行を楽しむはずでしたが、三澤の急病でそれは中止となります。また、その三澤が病気で入院したせいもあって、登場人物たちは自然な形で顔を合わせることになります。この辺は見事です。
第二部:兄
 長野二郎の兄、一郎は妻であるお直と冷えた夫婦関係になっています。また、自分の妻であるお直が本当は弟の二郎のことが好きなのではないかと疑っています。そこで、そのことを弟に直接話し、妻の貞操を試してくれと言います。もちろん、弟である二郎は断りますが、最終的に暴風雨のせいでお直と二郎は二人だけで外泊することになります。もちろん、漱石の小説ですから渡辺淳一のような場面にはなりません。二人は翌日、何事もなく家に帰ります。
第三部:帰ってから
 二郞は「姉さんの人格に就て、御疑ひになる所はまるでありません」と一郎に報告します。一郎は、嫁であるお直を信じていませんが、弟の二郎は信じています。しかし、今度ばかりは一郎も二郎の言葉を素直に信じることができません。夫婦の仲は以前よりも冷えて行きます。
第四部:塵労
「塵労」とは、広辞苑でこう解説されています。
 煩悩のこと。穢れているから塵と言い、身心を疲れさせるから労という。世間のわづらはしい関わり合い。

 第四部は、圧巻ですが、宗教的な話が唐突すぎて読みにくい話になっています。一郎の苦悩は分かるのですが、話が高尚過ぎると言えば良いのでしょうか。いきなり、「僕は神だ」と言われても、一寸こまりますね。


 漱石にとっても長野一郎にとっても、自己本位は厄介な煩悩でした。「世間の煩わしい関わり合い」が無ければ楽になることができる類いの煩悩だったのでしょう。「行人」を書く6年前、明治39年(1906年)に漱石は「草枕」でこう書いています。

「山路を登りながら、かう考へた。
 智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りょうどなりにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくからう。」

  岩波書店の全集より引用、ただし正漢字は、現代の略字体に改めました。